両さん像とツバメ

 亀有駅周辺に両さんの像が数体あり、ちょっと行くと少年時代の像まであって変な気持ちになることは商店街の人だけの秘密になっています。そのうち、両津勘吉像で駅前の空いているヨーカドーの3階まで埋め尽くされるのではないかと心配しています。
 Xツバメはそのうちの一体、祭り中の両津勘吉像の頭の上にのり、マレー半島で越冬するための長旅に備え、自慢の羽を調えておりました(越冬する場所はウィキペディアで調べたのです)。Xツバメは、毎年両さんの頭の上で海を越える準備をすると次の年かなりいいケツ(尾羽)をしたメスとやれるというジンクスがあるのです。ゴキゲンです。
「とんがり帽子の取水塔から〜♪」としきりに歌っておりますと、ツバメは、両さんが涙を流していることにはたと気付きました。銅像が涙を流すなんて、吉川晃司が無人島にいるなんて、一体どうしたことでしょう。
「どうしたの、両さん。涙を流して、いったいどうしたの」
 Xツバメは周りを小さく飛び回って聞きました。両さんは何も言わず、相変わらず芸の無いガニ股で誰かに挨拶をしたまま微動だにしません。そして似ていません。
両さん、答えてよ。黙っていてはわからないよ。僕に何かできることがあったら、言っておくれよ。泣いてる時は、お互い様だよ」
 それでも両さんは頑なに口を閉ざしています。涙はどうどうどうと流れています。
「そうよ両ちゃん! 私達に話してみて!」
 突然、股の下にいたYツバメがさえずりました。両さんの像はちょっとした鳥の待ち合わせスポットになっており、今日も糞まみれでした。二羽で両ちゃん両ちゃんと、最初両さんと呼んでいた方も両ちゃんと呼ぶようになってピーチクパーチクやっていると、その声を聞きつけた常磐線沿線三千のツバメ達が日ごろの感謝をこめて、両ちゃんの相談に乗ろうと、両ちゃん両ちゃんと一斉に西の空から集まってきました。両津勘吉像の頭上だけ真っ暗になったかと思うと、けたたましい音をたてて救急車が通り、ツバメ達は一斉に森の方へ飛んでいきました。が、毛虫をくわえてすぐに戻って来ました。
「両ちゃん、泣いてばかりいて、どうしたんだよ」
「両ちゃんが泣いていると、私達だって、さびしいわ」
「ツバメの世界には、巣の位置が高いほど糞がよく飛び散る、という言葉があるよ。元気を出して」
「人のために悲しむのは、決して悲しいことではないわ。それは、両ちゃんが気付かせてくれたのよ」
「僕達が日ごろ、両ちゃんのことをなんと呼んでいるか知っているの。太陽みたいな人、って、そう言っているんだよ。親戚中、みんな言っているよ。こないだなんか、スズメも言ってたよ」
「人間の小学生も、大人に聞かれてそう言っていたよ」
「両ちゃんは、僕らの太陽神(ジーザス・サン)なんだよ」
「さびしいんだろ、両ちゃん。駅前で、24時間立ちっぱなしで、さびしかったんだろ」
「夜も一人きりで、さびしいよね、両ちゃん」
「はるか宇都宮でも、さびしい餃子像が運んでるとき半分に折れたよ」
「両ちゃんがそうなってしまったら、俺たちゃどうしたらいいのよ」
「僕はね両ちゃん。僕は、両ちゃんがこんな駅前の一角で満足するような男じゃあないと、連載初期から思っていたよ」
「両ちゃん、脱出しよう。亀有を。汚い駅前のさびれたこの町を」
「そうだわ! この際、両ちゃんも私達と一緒にマレー半島へ行きましょうよ。ね、両ちゃん!?」
「そうよ、そうよ、そうしましょうよ。昔そんなオチがあったじゃない!」
「そんなのばっかりだったじゃない!」
「決まりだ、両ちゃん!」
 その時、両津勘吉像の涙がぴたりと止まりました。晴れやかな顔、にっこり眉毛が一つなぎ、今にも神輿の上に飛び乗って、下町の人情が日本を元気にするというナレーションが入りそうです。そして、喜びにわいた三千羽のツバメが、日本一空高く飛びました。
 その日から、ツバメ達はさっそく、両津勘吉像の足元をクチバシで突いて削り始めました。とは言え、あんまり頑張るとYouTubeに投稿されてしまいます。数匹ずつ交代制で、裏側から、裏側から、攻めました。この時ほど三千匹いる必要がなかったことは今だかつてなかったと言います。
 2001年10月某日から始まったこの作業ですが、2014年4月21日現在、ほとんど進んでおりません。超合金でできた両さんはあきれるほど硬い上に、冬は割と暖かいところでのんびり暮らすツバメ達のバイオリズムのせいです。それでも、毎年春から秋にかけて毎日毎日、ツバメが両さんの足を土台をつっつきまわしています。両さんが亀有の地から解き放たれた時の予定はすでに決まっていて、両さんの背中に「大安」「風船」「名古屋トイレ休憩」「根性」などと小さな小さなツバメの字で、いつかの夢の欠片がしたためられております。