強盗だボタン

 太陽にさんさんとライトアップされて「東京三菱UFJ銀行」のJの字が輝くそんな昼下がり、のり子はいつものように元気いっぱい窓口業務を続けていたが、朝から数えて五十発目のハンコを押したとき、突然、神の啓示のように、パンストをかぶってグラサンをかけた男が入ってきた。見たことの無い組み合わせにも業務マニュアルは対応している。銀行強盗だ。
 バキューン、バキューンという大きな音がしたかと思うと、ATMに並んでいた少年のリュックサックが激しく撃ち抜かれ、中から米が勢いよくこぼれ落ち始めた。気付いた少年は泣きながら米をすくう。誰しもやばいと思った。ついにきたと思った。
 頼りの警備員を見ると、朝見た時とは違ってパンストをかぶっている。のり子はその時グルという言葉がスッと出てこなかったので、心の中でそうかそういうことか、そうかそういうことか、と繰り返していた。
 バキューン!
 強盗はもう一発、撃ち抜くにはかなりおあつらえむきのソファ(背もたれのないタイプ)を撃ちぬくと、米をかき集めている少年をひっ捕らえて、銃を突きつけた。
「全員動くな! 変な動きをすればこいつが死ぬぞ! 変な動きって、警察を呼ぶとかのこと!」
 職員たちは変な動きをしないでおこうと固く決心した。地球や宇宙の規模から考えれば、何千万円を失うことなんて、その気になれば爆笑できるし、逆にいい思い出にしてしまえ。してしまおうよそれは。無臭から火薬っぽいにおいへ変わった店内を見渡せば、僕はわかってます、OKです、と強盗側にプラスのメッセージ(ウインク)を送る者もちらほら現れている。
 しかしのり子は違った。勤続十周年という事実が正義感を奮い立たせ、幾千のビジネス書には一行も書かれていない種類の勇気が湧いてくる。
 東京三菱UFJ銀行ではこんな時のために、特別なボタンが用意してある。そのボタンを押せばどんな夢も叶うと言うよという話をのり子は聞いたことがあった。具体的なことは何も知らないが、銀行の名前が長くなる時、三人寄れば文殊の知恵とばかりに、防犯に対する全ての技術とノウハウをこの際いい機会だからと結集させた黄色いボタンだと聞いている。
 そのボタンは他ならぬのり子の机の裏側にへばりついているという点で、「持ってる。のり子持ってるよ」という父の台詞もただの親バカで済ますには運命がどや顔すぎるというものだ。のり子はボタンのカバーを外し、包み込むように手をかけ、さっさと押せばいいのに、二、三度なでまわした。
「ここに金をつめろ! 毎日ステーキを食べても死ぬまでなくならないぐらいにだ!」
 銀行強盗は少年の米が入っていたリュックサックをふんだくると、のり子の前に放り投げた。銀行強盗する時はリュックサックを現地調達するのがいいんじゃないかという俺からの提案だと思っていただきたい。よく行くファミレスで普段なら頼まないシーフードリゾット的なものを頼むと三倍むっちゃうまいということも、申し添えておこう。
 のり子の目の前に口を開けてだらしなくへたばっているリュックは、鼻いっぱいに染み渡るような米のにおいがした。万年鼻がつまってつらいのり子だが、たまにとおっていると思ったら仕事中に思いも寄らないにおいをかぐことになるのだから、人生はおもしろい。
「早くしろ! やれるべきことをやろう!」
 強盗がのり子に銃を突きつけた。のり子が悪い。のり子が全然動かないで鼻ばかり動かしているのが悪い。
 ところで、銃を突きつけられるというのは、のり子でなくとも正直めちゃ怖いことだと思う。今まで一人で生きてきたと思っていても、いざ銃を突きつけられたら誰かに助けて欲しいし、そしてもし生き残ることがあったなら、同窓会にもちゃんと行って今日のことを話そう。そして先生に謝ろう。
 早川先生ごめんなさい。
 先生は全然関係ないが、のり子は銃口の中が2センチまで丸見えになる奇跡体験をしつつ、左手でボタンを押した。
 黙って銃を構えている強盗の頭の上に「MISS!」という文字が浮かび上がってすぐ消えた。
 呆然とするのり子。誰かが叫んだ。
「何、やってんだよ!」
 すごく怒っていた。すごく怖かった。