編集部と職人カタギはせめぎあう

「ダメだまたエレベーターの話だ。編集長、またエレベーターに閉じ込められる話です!」
 FAXの前でもう勘弁の体勢になった新米編集の声に、編集部が揺れた。偉い椅子にめりこんだ編集長がすかさず声をかける。
「落ち着け、新米君。軽々に決め付けるのはよくない。バトルもので依頼したんだろう。オチを見てみるんだ。オチを見れば全てがわかる」
 新米編集は紙をペラペラして確認、しかしすぐに渋い顔になった。
「……いやいつもと同じ、コメディタッチです。敵らしき人物もいますが……結局ウンコをもらして扉が開いて来週号です!」
 この頑なさには、百戦錬磨の編集部もお手上げだった。


 トゥルルルルル。トゥルルルルル。
 雑然とした仕事場に鳴り響くコール音は、音楽をかけないタイプのマンガ家の仕事場ではとてもうっさく感じる。
「先生、ジャンプ編集部からお電話です。しかしこのナンバーディスプレイという機能はとても便利ですね」
 アシスタント君は電話機の方を見もせずに言った。ナンバーディスプレイもついていない。
「いないと言ってくれ」
「わかりました」
 アシスタントくんが受話器に手をかけた瞬間、
「ネームを考えに出かけたと言ってくれ!」
「わかりました……はいもしもし。はい、先生はネームを考えに出かけています。ええ、ええ」
 先生は、顔に出やすいアシの顔が曇ったのを見て全てを悟った。ここ1年、連載を持てていない。
「そう言われましても、先生は結果を残してるじゃないですか。先生はエレベーターに閉じ込められてウンコを漏らす読みきりで、ワンピースを抑えて一位をとりました。チビッコ読者は先生を求めているんです」
 先生はマンガ家生活15年、その話しか描いたことがない。それでやってきた。打ち切りをされた時も、アニメ化された時も、いつもそばにいてくれたのが、エレベーターに閉じ込められて結局ウンコを漏らす話だった。今では、目をつぶってもエレベーターが描ける。
「オチのウンコはやめられません。先生はウンコもらすオチに誇りを持っています。先生に連載を持たせるということは、ウンコに自伝を描かせるのと同じです。ウンコは絶対に外せません」
 先生は顔色一つ変えずに作業を続けていた。
「先生は今年で記念すべき15周年。それでいてアイディアは汲めども尽きぬ様子です。連載してもまったく問題ありません。既に原稿は4話、ネームは8話までできています。全て同じ話ですが、全ておもしろい」
 受話器から強く大きな声が漏れてきた。先生はウンコにペン入れしながら、ゆっくりと目を閉じた。
「人気が持つかどうかは、これ全てチビッコが決めることです。海賊をとるか、亀有をとるか、ウンコをとるか、チビッコたちは素直に選びます。先生の中では、少なくとも亀有に勝つ計算はついています」
 今度は先生の顔が曇った。確かに昔そんなことは言ったが、編集部にバラしてはいけない。第一それは「情熱大陸を見てこち亀を見る目つきが変わる」前に笑笑でした話だ。今では、秋本治先生を心から尊敬しているばかりか、何十年も前から尊敬しているふうに言っている。
 しばらく無言状態になったので、先生は気が気でなかった。新米編集が亀有で凍り付いているのが容易にわかった。
「もうよろしいですか。とにかく、来週までにエレベーターで8話まで描ききりますから、そのつもりでお願いします。連載予告のキャッチフレーズですが、先生からの要望は『今度は敵もおもらし!』です」
 アシは電話を切り、何も言わずにエレベーターの背景を描きいれ始めた。それに応えるように、先生もしばらく黙々と作業した。
 そして二時間後、先生が月刊誌のように重い口を開いた。
「アシスタントくん、僕のアシをこれまで何百人も辞めていった。来る日も来る日もエレベーターに閉じ込められてウンコ、全部おんなじじゃねえか、なんて罵倒していった人もいる。君もナルトの手伝いとかの方がいいかね」
「先生、悲しいことは言わないでください。僕はもう、目をつぶってもエレベーターが描けますし、ウンコの形にはみ出さずスクリントーンを貼れます」
 先生は少し微笑んだ。
「聞いていなかったけど、君は、どういうマンガを描きたいのかね」
 アシは手を止めてしばらく黙り、コーヒーカップに入れたリゲインを一口飲んだ。これは先生のマネをして始めたのだ。
「僕は、スラムダンクのような感動できるマンガを描きたいんです」
 先生は覚悟を決めたような目になったが、アシはすぐに、
「ただ、ラストはやっぱり……」
 と付け加えた。二人は三秒だけ目を合わせると、またエレベーターに閉じ込められて結局ウンコをもらすマンガを描き始めた。