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武道館初ライヴ・ボーカル無し、震える黒豆

 全五色そろえたレーザービームが二色しか出ていない。その動きも心なしか文化祭のにおいがした。ステージを照らしてかっこいいところを見せびらかすためのライトも一つしか稼働しておらず、一番よく動くからという理由でドラムだけ照らし出されて、そいつだけ演奏しているみたいに見えていたが、ちゃんとギターとベースの音もしていた。時々、飽きたから、あと目も痛くなるからという理由で切り替わるが、ベースはいきなり照らされてもツンとクールにすましていた。ちゃんと暗闇でもかっこつけていたらしい。ステージから見て右上のほう、比較的安いチケットを買ったあたりの客がキャーとわいた。
 そんなわけで、初武道館ライブという人生の晴れ舞台にも関わらず、新進気鋭のロックバンド「ババアのハンドタオルズ」はボーカルなしという苦境に立たされ、電力を節約されていた。前日のBUCK-TICKはあんなに電気を使っていたのに。客にしてみれば、高いチケットをローソンで購入した暁に一発で心を折られてしまうまさかのオリジナルカラオケ。歌詞がいいとされているバンドの良さがぜんぜん出せていない。もういいからミスチルが聞きたい。
 群馬県出身、関塚黒豆もミスチルが聞きたかった。彼がこのバンドで尊敬しているのは、作詞担当のフロントマン、魅惑の言葉でオリコン50位という名の峠を攻める高校時代の国語の偏差値めちゃ高ボーカルのアースダイバー大五郎さんただ一人。あとの三人は、正直、国語の成績的にも大したことがないのは間違いなく、DVDで確認できるライブの楽屋でも、札幌ライブの時にカニの話ばかりしていた(大五郎さんは話に加わらず隅のほうで爪を切っていて屈指の名シーンである)。
 アースダイバー大五郎さんは最近「めちゃくちゃ新書を読んでい」るそうだ。そうブログに書いてあった。集団的自衛権について「身に染みてしま」い、気づくと、「ペンギンを飼いたいという夢をあきらめ」ていたらしい。なんて我が道を行くんだ。アースダイバー大五郎さんのブログは大人気で、一日300人を超えるアクセスがあり、いとうせいこうが時々ハイテンションなトラックバックを送ってくることで知られている(アースダイバー大五郎さんは「いとう」と呼び捨てにしている)。
 そういうわけだから僕は、今日のライブには心底がっかりした。まず死ぬほど薄暗いし、クーラーも死ぬほど節約されていることは間違いない。蚊もいっぱい飛んでいるし、蚊取り線香はドラムのシンバルの軸に取り付けられているものだけのようだ。お前だけ上半身裸だからという配慮だろう。でも蚊取り線香なんてなくても、生アースダイバー大五郎さんを見ることができたら、僕はこれっぽっちの文句もつけなかった。
 はるばる群馬県からやって来たのに、と僕は思った。ずいぶんお金を無駄遣いした。余りに楽しみだったため、地元の駅からどこをどう乗り換えたのか記憶がまったくないくらい、そのくらい楽しみにしていたのに。僕は山手線を使ったのか? 教えてくれ。でんこちゃん教えてくれ。東京のこと教えてくれ。ダメだ、本当に何も覚えていない。東京になんか来なきゃよかった。上野駅で本屋に寄った気がする。
 3曲目が終わっていた。全部同じような曲だった。やっぱりアースダイバー大五郎さんがいなくちゃダメだ。言わばアースダイバー大五郎さんが、「ババアのハンドタオルズ」というステーキの、選べるソースだったんだ。
 その時、僕の携帯電話が釣りたてのカツオのように震えた。正直、三人だけ出てきた時から僕の携帯電話の電源は入りっぱなしのマナー違反であり、ささやかな反抗だった。
 それは見知らぬ番号だった。普段ならそんなことしないのに、やけっぱちになっていたであろう僕は、気付くとキムタクのモノマネで通話ボタンを押していた。
「っ誰だよっ」
――今日はライブに来てくれてありがとう。さあ歌うよ……
 その声は僕の憧れの人だった。
「アースダイバー大五郎さん!?」
 近くの客が一斉にこっちを振り向き、僕の日ハムのキャップが真上に舞い上がり、天井に引っかかった。
――さあ今日も歌うよ……


♪ いかした男について教えてやろう
  ラストで持っていけばいい 全部持っていけばいい
  不意打ちでキメ顔 それで突っ走れ
  勝ちたくない奴なんていないよ
  何にも縛られず 好き放題生きるんだろ?
  迷わずヤリで戦え!
  長く持って戦え!


 この曲は、ファーストアルバム収録の『能ある鷹は爪を隠す』だ。アースダイバー大五郎さんの書く曲は全て諺が曲名になっている。ハードなロックナンバーだ。
 僕はその歌詞の花咲くすばらしさに心を打たれ、周りのみんなにも聞かせてやろうとスピーカーモードに変更した。


♪ 渋い男について教えてやろう
  ジャズを聴けばいい レコードで聴けばいい
  誰かをハメたら 黙って立ち去れ
  勝ちたくない奴なんていないよ
  誰の干渉も受けず 石垣島なんだろ?
  勉強してからやれ!
  勉強してから株やれ!


 みんな目を閉じていた。僕も閉じていたから見たわけじゃないが、閉じていただろう。ずっとそんなことは気に入らなかったはずなのに、音楽を聴く時に目を閉じる人、話を聴く時にずっと相槌を打っている人、電車でダラッと座るガタイのいい人、僕やあなた、そして全ての欲しがり屋さん、みんながみんな、アースダイバー大五郎さんのもとで同じ班に入れられて、同じ色のビブスが配られていた。ビブスには「P.E.」と書いてあった。
 もはや世界はアースダイバー大五郎さんの手の中にあり、僕らは地球の奥底のちょっとシャレにならないぐらい固いところまで潜り込んでバスケットボール、まずは三角パスをしているような感覚に包まれていた。
 その陶酔から醒めたのは、誰かがこうつぶやいたからだ。
「いつもより上手い……」
 僕はヨダレをふき取りながら、ハッとした。確かに、その世界観に比べると歌唱力に味噌がつくアースダイバー大五郎さんだが、今日の歌は伸びている。そしてにじんでいない。そうかむしろだからこそ、今、僕はこんなに気持ちよくなることができたのだ。
 もう歌は終わっており、電話からチャプチャプと湯を打つような音が聞こえた。間髪いれずに誰かメガネの人が叫んだ。
「アースダイバーさんは、風呂に入っているんだ!」
「風呂場から電話をおかけになっているんだ!」
 ワッと盛り上がる中、それを制するようにアースダイバー大五郎さんが優しい声でこちらに伝えた。
――さあ今日も風呂で歌うよ……
 次の曲『好きこそ物の上手なれ』が始まって、僕は心地よい夢の世界へ自ら気を失いに行った。