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夏も近づく八十八夜のリーダー論(ひと月遅れ)

 今日もたくさんの帰宅部が静岡県の茶畑に集まってくれた。まず、茶畑の一番下のところで色々事務的なことをやる必要がある。若ちゃけた中学生たちの憧れであるミリタリー・ウェアに身を包んだおじさんは、ジッポーコレクションを一通り自慢してから、本題に入った。
「……というわけ で、えー、まだ3時半にもかかわらず、みんな来てくれてありがとう。ていうかもう学校終わったんだ? 番号!」
「1!」「2!」「3!」「4!」「5!」「6!」
「風邪を引いている奴はいないな。風邪引きはクシャミでもう一回、番号!」
「1!」「2!」「3!」「ヘーッキシ!」「え? 4!」「5!」
「今インフルエンザ流行ってるから、くれぐれも気をつけるように。さあ、学生たち、駆け出せ!」
「うぁい!」
 声をそろえて、帰宅部たちは、縦に並んで茶畑の道をなんとなくフラフラしながら走り始める。端までいくと、次の段へ行くもの、その三段上へ行くもの、一番上までのぼってしまうもの。十人十色ということわざは今、帰宅部のためにあった。
 おじさんは一人になった途端にお尻がむずむずしてきたので、まぎらわすために声をかける。
「自由だぞ!」
「はい、自由です!」「解き放たれた俺たち、自由です!」「お茶の匂いがする!」
 茶畑の各段から、気持ちのいい返事が駆け降りてくる。帰宅部でも、茶畑でならこんな爽やかな返事ができることを、教育者はまだ知らない。逃げろ、受験戦争から。はがせ、根暗のレッテルを。おじさんはペロリと親指をなめた。腹が減っているので、何か味がしたらいいと思っているからだ。いつもならする味だが、今日はしなかった。
 あらためて茶畑を下から見ると、絶対中1から着てるだろ、という淡い色のTシャツを着用した帰宅部たち――1回家に帰って着替えて来たのだ――が、あっちこっちジグザグに茶畑を横切り、なんとなくファミコンのゲームを思い出す。一番の見所は、空気のおいしさ。鼻毛の必要性ゼロ。斜面に広がる茶畑はこれ以上無い角度、体勢で太陽光を浴び倒し、絵の具セットにはない何ともいえない力強い緑色に満ちていた。ただ、画材専門店に行けばこの色もあると思う。
 おじさんは暇なので、口に手を添えて叫んだ。
「君たち! 走ってもらってるけど、特にこれっていう意味は、ない!」
「はい! 特にこれっていう意味はないです!」「意味、ないです!」「お茶の匂いが、すごい!」
「お前さっきもおんなじようなこと言ってたぞ」
 おじさんはすぐ目の前を走っていた帰宅部にやさしく言った。ハァハァ言って笑顔でうなずいていた。
 例えばの話、スイカにモーツァルトを聞かせると甘くなり、L⇔Rを聞かせたら「いた いた」という味がしたという。ならば帰宅部が走ったら茶はどうなるのかなんてそんなことは考えなくてもいいことだ。そういうことを考えるから日本はダメになっていくんだ。20分ほどしてみんな息を切らせた頃、笛が吹かれて解散となった。帰宅部はおじさんにみかんをもらった。
 次の日、噂を聞きつけた帰宅部が20人ほど集まった。おじさんはそんなに新顔が来ると思っていなかったので、わざわざ家までジッポーコレクションを取りに戻らねばならなかった。見せたあと、どうせならということで、茶畑の一番上と一番下で2チームに分かれて、ジグザグジャンケンゲームをすることになった。出会いがしらでジャンケンするやつだ。大いに盛り上がり、みかんをもらってみんな帰った。次の日は30人ほど来て、それからも連日たくさんの帰宅部が詰めかけて色々なゲームをした。その頃には、いったん家に帰ってから集まる帰宅部はおらず、そのまま制服で茶畑に集合した。やがて帰宅部の方から、今日は何する、今日は何する、という雰囲気になると、おじさんの目は、出涸らしの水分を含んだ茶っ葉のようにデロデロと悪い意味でにごり始め、あまりしゃべらなくなった。おじさん最近おかしいなとみんなも思っていたが、ある一派は、おじさんなんかいなくても俺たちは愉快にやっていける、俺の伯父さんの方がジッポーをたくさん持っている、と主張した。
 そしてある日、茶畑へ向かう道の電信柱に書き置きがぶらさがっていた。
「おじさんとみんなが一緒に満足するのは、100人のチンピラをまっすぐ整列させるより難しい。さようなら。ビッグバンドのメンバーは全員無責任なイメージがあるおじさんを許してください。さようなら」
 帰宅部はしばらくその場でダラッとして、少し口論したりしてしまったが、やがて自宅へ帰っていった。物事は、時として悲しいかな、当然そうなるのが一番いいという流れですら、間違った方向へ行ってしまう。