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両A面シングル「福浦さんちの場合」

「福浦さんちの犬、感情むき出しだね」
 私と上條君の目の前で、牙を丸見せにしちゃって、今にも飛びかかりそうな姿勢を見せるトゥインクル。うちの犬。バカなあなたのおかげで私は顔から火が出そうだよ。こんな年頃の女の子なのに、飼い犬が感情むき出しなのって、なんだかすっごくむなしいし、恥ずかしいし、やるせない。ねぇトゥインクル、間抜けな犬、今日ぐらい、あの日うちに初めて来た時みたいな、かわいいあなたでいてくれたっていいじゃない。昨日、ケンタッキーの骨をあげたでしょ?
「ガルルルッルッルゥ〜〜〜ガッ、ガウガッ、ガッ!!」
 結果これなの? 飛びかかろうとするのを鎖でつながれているから、二足で立ったみたいになってる、これがあなたのやり方なの? それはちょっとあんまりだわ。金属の鎖が支柱に巻き付いてガシャガシャ派手な音をたてるから、私は好きな男の子の顔も見れないで、ゆっくり一歩下がるしかないというのに。
「ヴァッ! ガウ! ヴァッ!」
 上條君のまつげの長い目がどうしようもないトゥインクルをじっと見ているのを、後ろから私は見ている。上條君が一つまばたきをするたびに、心が揺れる。でも、今ゆっくり家の戸を開けているところだから、見ているしかない。お父さんやお母さんに言うと怒られるけど、貧乏な家って必ず引き戸。軽いアルミのがっかり素材。私もダイワハウスの外張り断熱の家がよかったな、なんて思うけど、今に始まったことじゃないから諦める。だけどこんな時だけはちょっぴり悲しくなる。カラカラ鳴るのが恥ずかしいから、なるべくゆっくり開けないといけない。
「ね。上條君。そんなのほっといて、入って入って」
 ようやく上條君を招き入れて、後ろ手で、またぞろゆっくり戸を閉める。少しでもあせったら、カラカラ鳴っていけないから。このときばかりは、誰もいなくなってもまだしつこく吠えている「そんなの」に感謝をしたりして、私には苦労が多い。
「これ、スポーツチャンバラの?」
 家に入っての上條君の第一声は、また私の顔を赤い方へ追いやった。上條君は隅の傘立てにさしてあるスポーツチャンバラで使う黒い棒を指さして、それから私の方を振り向いたのだ。
 ひどく狭い、埃だらけの玄関で、爆発的に上昇する体温。どうしてこうなの。玄関にスポーツチャンバラがあるなんて、恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。
「うん。お、弟の。あいつ、バカだから」私は下を向いて泣きそうになりながら、どこからか這いだしてきた小さいクモをつま先だけで隅っこに飛ばして、やっと答えた。
 私に弟がいないことは、そんなの上條君は知っている。というか、今さっき知ったばかりだ。ここへ来る途中で、私は「兄弟がいる人、うらやましぃな〜」とカワイコぶった。なのに、こんなことを言ってる。もうダメ、終わり、最悪。
「へぇ~」
 そういうわけなんだから、へぇ~なんてのは絶対におかしいんだけど、上條君はすごく優しい人なのだ。見え透いたって、優しい人なのだ。私にも、スポーツチャンバラをやってる弟がいることにしてくれる。そんな優しさにたまらなくなってしまうけど、戸がまだ閉じきらないから、何をするにもそこを動けない。上條君も、私が上がらないから自分も玄関に突っ立ったまま、仕方なく何本もだらしなく立てかけられたりしてる傘とかを見ている。
 ようやく戸が音もなく閉まって、私は靴を脱ぐ。自分のをそろえて上がり框へ足を置いたら半回転、
「あがって」
 と透き通るような声で言って、上條君の靴もキレイにそろえる。完璧。私も必死だ。せめてここから挽回して、また上手くやろう。そして楽しい時間をすごすんだ。
「た、だ、い、まぁ〜」
 お母さんに聞こえないように小さな声で、忍び足で、私は短い廊下をゆく。この動作はちょっと自分でもかわゆいと思ってる。それを上條君が後ろから見てると思うとたまらない。
 二階の自分の部屋へ行く前に、こっそりキッチンをのぞき込む。私の目に入ったのは、手に靴下をはめて一心不乱に床を掃除していたお母さん。私に気付いて何か言おうとしたようだったので、私は廊下に足をついたまま思い切り手をのばしてドアを閉めた。バタンとドアが勢いよく閉まって、お馴染みの、ドアを押さえて背にするのポーズ。
「どうしたの。福浦さん」
「なんでも」
 それから、にっこり笑顔で上條君に首を傾ける。
「ね?」


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「福浦さんちの犬、感情むき出しだね」
 私と上條君の目の前で、我が家のクソ犬トゥインクルが牙と虫歯と汚い歯茎を見せ放題見せてうなっている。ヨダレもダラダラとウンコまみれの地面に染みができるほど。今にもこっちに飛びかかってきそうだが、来いや。上條君に一発でも喰らわせてみろ。承知しない。お前のせいで私はいらん恥のかき通しだ。飼い犬が感情むき出しなところを憧れのクラスメイトに見られたせいで、私は思い切り走り出したい。裸足で走り出したい。いつものように顎を蹴り上げたい。だいたい昨日、ケンタッキーの骨の異常に黒いわき腹みたいな部分を全部こいつにやったのに。
「ガルルルッルッルゥ〜〜〜ガッ、ガウガッ、ガッ!!」
 結果これか? 飛びかかろうとするのを鎖で抑えられているから、どうしても二本足で立ったみたいになって曲がって生えたやや勃起のポコチンが根本までズルズルに見えて何か糸引いてる気がしてキモいって、それがお前の恩返しか? それはちょっとあんまりだろ。金属の鎖が支柱に巻き付いてガシャガシャと世紀末の音を奏でるから、私は好きな男の子の顔を見れないで、内腿をかきむしりながらゆっくり一歩下がるのみ。
「ヴァッ! ガウ! ヴァッ!」
 上条君がクソしょうもないトゥインクルをじっと見ているのを、後ろから私は見ている。上条君が一つまばたきをするたびに、心が陰毛でサワサワくすぐられるようだ。かゆい。でも、私は今ゆっくり家の戸を開けているところだから、見ているしかない。父親や母親に言うと首を絞められるけど、貧乏な家は百軒中百軒が引き戸のくされデザイン。軟弱アルミの歯糞塗れの濁りガラス。私もダイワハウスの外張り断熱の家がよかったなと思うけど、父親の職業が型枠大工じゃどうにもならないし、文句を言ったってしょうがない。だけど今日みたいな時はやっぱり負け組クソ親父って思う。カラカラと庶民の音が鳴るのが恥ずかしいから、なるべくゆっくり開けないといけない。
「ね。上條君。そんなのほっといて、入って入って」
 ようやく上條君を招き入れて、後ろ手で、またぞろゆっくり戸を閉める。少しでもあせったら、カラカラ鳴っていけないから慎重に、オナニーの最初の方のように。徐々に、徐々に。このときばかりは、誰もいなくなってもまだしつこく吠えているワクチン未注射の駄犬に感謝をしたりして、私には苦労と性病がとにかく多い。
「これ、スポーツチャンバラの?」
 家に入っての上條君の第一声は、また私の顔に放火する。上條君は隅の傘立てにさしてあるスポーツチャンバラで使うやつを指さして、私を不思議そうに見る。クソ狭い竹ぼうきだらけの玄関で、私は恥辱と憤怒に塗れる。玄関のスポーツチャンバラを見られた、クソッ。クソッ! クソがッ!
「うん。お、弟の。あいつ、バカだから」
 私は下を向いて、秘密裏に、どこからか這いだしてきた小さいクモを靴の裏で踏みつぶし、膝と戸のガラスの間でカメ虫の体液を感じながらやっと答えた。
 私に弟がいないことは、そんなの上条君は知っている。というか、今さっき知ったばかりだ。ここへ来る途中で、私は「兄弟がいる人、うらやましぃな~」とマニュアル通りやってみた。なのに今、嘘を言っている。また嘘をついている。得意の嘘をついている。
「へぇ~」
 だから、へぇ~というのはそのへんの浮浪者でもわかるぐらいおかしいんだけど、上条君は優しい人なのだ。私にはスポーツチャンバラをやってるニキビだらけで手首にアトピーのある弟がいる。誰がアトピーだ。私はそんな優しさにたまらなくなってしまうけど、戸がまだ閉じきらないから、何をするにもそこを動けない。上條君も、私が上がらないから自分も玄関に突っ立ったまま、仕方なく、先端の方が茶色くなったビニール傘とかを何本も見ている。
 ようやく戸が音もなく閉まって、私は踵が死んだ靴を脱ぐ。自分のをそろえて上がりかまちへ足を置いたら半回転、
「あがって」
 と娼婦のように言って、上条君の靴もそろえる。完璧。浮浪者が見ても超完璧だったろう。臭い犬や家の分のロスを生き様で取り返さねば。
「た、だ、い、まぁ〜」
 四十年後には確実に死んでいるであろう母親に聞こえないように小さな声で、忍び足で、私は短い廊下をゆく。この動作は自分でも抜けるだろうと思ってる。それを上條君が後ろから見てると思うと、もうフェラチオのこと以外何も考えられない。
 二階の自分の部屋へ行く前に、こっそりチャバネゴキブリとネズミだらけのキッチンをのぞき込む。私の目に入ったのは、手に靴下をはいて、平泳ぎをするように腕をかき回して床を死にそうにはいずり回っている、生理のおりないメス団子。きついピンクのキャミソールで、珍しく掃除をしているつもりらしい。クソが。私は廊下に足をついたまま思い切り手をのばしてドアのノブをつかむと、死ね、死ね、死ねっ、と背に力を込めて廊下へ舞い戻る。バタンとドアが勢いよく閉まって、お馴染みの、ドアを押さえて背にするのポーズ。
「どうしたの。福浦さん」
「なんでも〜〜……」
 それから、にっこり笑顔で上條君に首を傾ける。
「ゴァ」何かの拍子に割とでかいゲップが出た。
「ね?」と付け加えたが、どうしようもない。
 ゲップをかましてはどうしようもない。くせえな、くせえ。くっせえオカズのにおいがするぞ? しかしどうしてこうなんだ。どうして私はこうなんだ。
「部屋、二階だから」
 口を結んで階段を一歩一歩ぎしぎし上る。飛田新地を思い出す。いい雰囲気だ。私はたぶんパンツが見えていると思った。いつもならパンツのしみぐらい屁でもビチグソでもラブジュースでもないが、上條君とあれば話は別だ。イヤッ、危ない! テンションを上げて振り向きに行く。
 上條くんはこれぞという屈託のない笑顔で、薄化粧で学校で上位の方に位置する私の顔を見ている。私は視線をおろして私の下半身をチェックにかかると、そうだそうだそうだったのだ。私は糞ビッチだからいつもスカートの下にジャージをはいているのだった。おもしろくもない。
 部屋に入り、上條君を残して、飲み物とお菓子を取りに行く。母親は今度は肉を叩いて柔らかくする器具で、むくみきった足の裏を叩いていた。
「おいババアてめえ、スポーツチャンバラもっと奥にしまっとけよ。お前だろ、最後使ったの」
「……」
 冷蔵庫を開けて舌打ちする。この家には麦茶しかねえ。こいつがしっかりしないからだ。こいつが、真っ当な親ならみんなやっていることを何にもできないからだ。盆に麦茶といつからあるのかわからないサキイカをまあいいかと盛って階段を上っていくと、後ろから、ガチャンッ。肉叩きを引き出しに放り込む音がした。私の心はもうこれぐらいで、限界ひたひたまでどす黒い液がチャプチャプしてしまう。育ちが悪いからだ。
「福浦さんちの麦茶、濃いね」
 上條君は一口飲んで微笑した。私はうまく応じることができなかった。恋心を、ネバネバした茶色い汁がコーティングして、あ〜〜〜タバコすいてえ。つうか今のは褒め言葉か? 麦茶が濃いのは、褒め言葉か? 何もわからなくなってきた。何が正しかったんだ。みんなどうして善悪を判断するんだ。幸せとは何だ? なぜあれほど恵まれて、これほど貧乏で、限りないほどの選択肢をがあって、誰も満足していないらしいんだ? 私も、お前も。母も、父も、犬も、誰も、彼も。
「サキイカ、かたいね」
 あ? 今のは? 笑ってっけど、今のは悪口だろ。上條君。今のはな、今のは。今のは。
 私は立ち上がり、通学カバンを力の限りおもくそバカヤロウ、壁に投げつけながら、
「うわあああああああ!!」
 でも私はそれだけで抑えた。上條君だから、だからその場は抑えることができた。上條君はおびえたような顔だったけど、私はこれで頑張ったのだ。ごめんなさい。ごめんなさい。好きです。
 どうしても激烈に糜爛した不潔な悪感情が鎮まらないから、いつものように襖を一発蹴りつけて階段を駆け下りる。手にツバというか鼻水みてえのとタンみてえのの混じりっこちゃんを吐きかけて、高速ですり合わせる。全身全霊を込めろ。
 ネズミが隠れるのが見えた玄関に飛び降り、スポーツチャンバラを乱暴に引き抜いて、カラカラカラカラカラと貧乏くさい音とともに靴下のまま外へ。飼い犬をめった打ちにしたくてたまらない。そうしなければ治まらない。
「ウウウゥゥゥゥウウゥ、ヴァッ! ガウアウ! ヴァッ!」
 しかし奴の方でも当然わかっている。感じている。派手にうなり、吠え、眉間と目を一つにし、やる覚悟だ。私は臆さず、全力疾走で近づくと、右手を振り下ろした。ドグンと音がして、スポーツチャンバラが巻きつくようにしなり、鼻の突き出た動物顔がゆがみながらつぶれる。私はもう肩で息をして、それも上手くできない。クソッ、クソッ、クソッ! やられても、牙を剥きだしにして向かってくる愛犬トゥインクル。来た時お前はかわいらしかった。私は今でも覚えている。お前はあの時、世界でいちばんかわいかったのだ。わかってる。ちゃんとわかってる。お前がこんな犬になったわけを。最初から私が悪かったのだ。全部、こんな家に育った私が悪いのだ。私が悪いのはこの家のせいだが、この家が悪いのは私のせいだ。でも、だから、殴らせろ。