マサルのちょっとはいいこともある朝
ドタ ドタドタドタドタドタ ドタ!!
ドタ ドタドタドタドタドタ ドタ!!
ドタ ドタドタドタドタドタ ドタ!!
階段を一番親しくしている主婦が駆け上ってくる音は、近づいたり離れたりしながらまだ続いている。一向やまないので、マサルも来るぞ来るぞと身構えているのがだんだん気疲れするようになってきた。
振り向いて案外近いところまで来ていた女の体勢を見ると、マサルの活発な脳がピンときた。これが若さなのかと思いながらマサルは問いかける。
「あなたの仕業ですね。あなたが、この不思議なことをやったんですね?」
女は階段のある方向をにらみ、両手を前に出して指をバラバラ小刻みに動かしていた。
「つうか今 屁こいたよね?」その体勢のまま女が言った。
マサルの顔がまた赤くなる。皮膚の薄皮一枚すれすれを走る血液たちが、止まれとマサルに言っているのだ。ここはやばいと告げているのだ。
ヘモグロビン「マサルー。止まれー! 止まるんだー!」
リンパ球「止まれって言うか、逃げろー!」
血小板「バック バック。バックオーライだマサルー!」
顆粒白血球「後ろはガラスキだー!」
「そうなんだね?」
マサルはヘモグロビンらの忠告を無視して、拾い集めた苦肉の策から一番 埃のついていないやつを選んだ。すなわち無視である。自分の都合悪いことは一旦無視してみることで、どうにかこの世間の荒波を乗り切っていきたい。
女は煮え切らない顔をマサルに向けたまま何も言わず、片方の手の動きを止めた。そしておもむろに、その手を自分の背に回す。
何だ? 何をやっているんだ? マサルは自問する。こうしている間にも、寛平兄やんはアメリカ大陸を横断しているのだ。急がなければならない。
ドタ ドタドタドタドタドタ ドタ!!
相変わらず階段を上る音だけはうるさく響いているのだが、慣れてきた。書かないということはそういうことだ。
悪魔か天使か、女がちょっと微笑みを見せたその途端。全国の男達の夢が叶い、花が咲いた。紫のブラジャーがバンジージャンプの時のようにゆっくり落下していったのである。
「え 嘘っ! そんなバカな!!」
ちょっとそんな気はしていたのに、マサルは馬鹿でかい声を出した。初めて生放送で見たおっぱいは、みんなが常日頃から乳輪乳輪と口をすっぱくして言っていたものが、あれ? あれ? と少し大きめなような気がしたが、贅沢はいえなかった。初めてということを考えれば、まずまずの滑り出しといえよう。テンションも文化祭前日のようになってしまった。
ところが一転 神妙な顔をして、マサルは目線を女の顔に移した。念のため、その前はおっぱいに釘付けであったことを書いておくことにする。
「僕、オナラしました」
そんな台詞がマサルの口をついた。5倍シャイなマサルがなぜそんなことを言えたのか、それは自分にもわからなかった。きっと御礼のつもりだったのだろう。
女は当然だというふうに頷いた。明らかにお前が屁をこいたのだから、最初からそう言えばいいのだ。しかしマサルがねばったおかげでおっぱいが見れたのだから、ナイスプレーマサルー! と手を叩く評論家もいた。二宮清純である。
「あなたの母親は今、時空のねじれの中で主婦をやっている」女が言った。
母親が時空のねじれに閉じ込められ、階段を上り続けている。
マサルは何も言わなかった。いけないマサルは、ここでもっぺん無視したらアソコも見れるかも知れないぞと目論み、しきりに唇を舐めていたのだ。母の日ばっかりカーネーションをあげて、ずいぶん調子のいいことだ。
ドタ ドタドタドタドタドタ ドタ!!