装備はパンスト ゴキブリバーサス

「先生は人間ゴキジェットの異名をとるほどの達人。さぞかし生きのいい、反則スレスレのゴキブリを用意してくれたんだろうな」
 パイプ椅子が見えなくなるほど恰幅のいい運営委員長のもとにつめよる若い男の髪質はかたく、一目で悩んでいるとわかった。だから運営委員長は、そんなナメた口をきかれてもそのことを言わなかった。
「先生の恐ろしさがまだわからないらしいな。いいか。ゴキブリが1匹、先生にやられる。先生にやられたゴキブリが巣に帰って糞をして死ぬ。その糞と死骸を食べて、他のゴキブリが死ぬ。わかるか?」
「えっ どういうこと」と運営委員長。
「先生は2度効くぞ!!」
 男は唇の両脇にツバをためたまま怒鳴った。そしてそのまま足をドンドン踏みならして去っていった。
「委員長」
 すぐさま入れ替わりで、かわいい恐竜のキャラが描かれているエプロン姿の二枚目がそばに寄って話しかける。
「対決後に皆さんへふるまうとん汁なんですが」
「どうした」
コンニャクは手でちぎった方がうまそうだというババアが二人いるんですが」
「帰らせろ」
 運営委員長は基本、親思いだが、非情な一面も持ち合わせる。近所から集まってきた年配が素手でブリブリちぎるコンニャクがおいしいはずがない。
「ははっ」
 エプロンが下がると、遠くで、さっきの男が別のスーツの男に叱られているのが見えた。説教が終わると、スーツだけがこちらに歩いて来る。運営委員長は、相手が近づくまで気付かない振りで天井を見たりしていた。
「こんにちは」
「あっこんにちは」
「剣道の達人陣営の沼淵だ。先生が、ゴキブリと戦うには裸足が不安だとおっしゃっている」
 スーツの男は挨拶を済ますなり事務室の口調で言った。
「ゴキブリの気持ちになって考えてみると、剣道の達人が足袋を履いているのはフェアーでない。なぜなら踏みつぶされちゃうからだ」
「先生は、もっと言うと足首も不安だとおっしゃっている。とにかく地肌が不安だと感じている」
「ならば、うすでのハイソックスをはいて戦ってもらおう」
「先生はうすでのハイソックスを持っていない。何歳だと思ってるんだ」
「タイツはないの」
「タイツもない。モモヒキしかないから足首が出てしまい、ナーバスになっている」
「ならストッキングだ。今日はたくさんのババアが君たちの戦いを見に来ている。どうしても不安なら、特例で好きなババアからストッキングを借りてよいことにする」
 スーツはしばらく考えているような表情でうつむいていたが、やがて顔を上げた。
「もう一つ、先生は、昨日の昼の打ち合わせ会で出たシュウマイ弁当のご飯がなぜ俵状に小分けされていたのかとひどく気にされている」
「あれ なんでなってんのー?」
 後ろから聞こえた声は、まさにこれからゴキブリとタイマンする先生だった。剣道の凄まじい達人である先生は、交渉がゴネているのを見て心配になり、フラフラすぐ後ろまで寄ってきてしまったのだ。威厳の欠片もなかったが、持ち味でもあった。
「あれ 誰がやったの?」
「そんなんなってた?」と腕組みしたまま運営委員長が聞く。
「なってるよ」
「そうなんだ」
「うそ」
「全然知らなかった」
「あのお弁当 食べてないの?」
「食べたよ シュウマイのでしょ 食べたよ」
「食べて気付かなかったの? ふしぎに思わなかった?」指をさす先生。
「全然気付かなかった。昨日言ってくれたらよかったのに。何が小分けなの?」
「ごめんね、まず、こう、ご飯のコーナーがあるでしょ」
「先生っ」先生が前に出てきて弁当の四角いジェスチャーをしようとするのを手で制するスーツ。「とにかく先生は、竹刀の先からゴキジェットが出るようにさせろとおっしゃっている」
「ゴキジェットは凶器指定されている。認められない」
「ならば、これだけはどうしても了承してもらう。あそこにある巨大モニターに、戦っている最中、ゴキブリをどアップで映さないことだ」
「ビックリしちゃうだろ」と先生。
「どうして映してはいけないの」
「先生がビックリされてしまう」
「ビックリするぞー 俺はビックリするぞー」
「認められない。ゴキブリはどアップで映す。絶対映す。盛り上がるからだ」
「なら、靴はいいんだな」
「さっきも言ったけど、必要であればストッキングの使用は許可する。そんなに自分の都合のいいように考えないでゴキブリの気持ちも考えてあげて。言葉がつかえないんだから、人間よりも、ゴキブリの気持ちを多めに考えるようにしないと、ダメだと思ってます」
 運営委員長はそう言うと目を閉じ、ポケットからアイポッドじゃないアイポッドみたいな聴くやつを取り出して聞き始めた。
 何聞いてんの? と話しかければ、まだ話を続けられそうな気がしたが、スーツはあきらめた。音漏れが洋楽だったからだ。運良くグリーンデイだったらいいものの、人生そううまくはいかない。こっちが恥をかくことになったら、もっとゴキブリ有利の条件を提示され、裸で戦うことになってしまうだろう。
 ほんとうなら、竹刀がOKな時点でかなり譲歩してもらってるじゃないか。ゴキブリ側は文句一つ言ってこない。そう思いつつも、ごはんをおいしそうに食べる先生を思うと、新製品を持たせて戦わせてあげたいのだった。
 スーツはけわしい表情でくるりと振り返って歩き始めた。先生はスーツの後姿と運営委員長の聴き姿を交互に見比べながら、スーツについていった。
「先生、すみません」
 先生が横にきて見上げると、スーツは泣いていた。自分の不甲斐なさに泣いていた。先生はスーツ君が泣いているとこを見たことがなかったので、とてもびっくりされた。
「さっそくババアを……ババアを選びましょう。あつでのストッキングをはいてる最高のババアを見つけましょう」
 先生はなるべくいいババアを探す意味がわからなかったが、泣いているし、
「そうだね、はりきっていこう」
 と言って、きょろきょろババアを探す振りを始められたのだった。