月9

 今まさに俳優として超一流のゾーンへ車庫入れしようというこの男、菊之介ジュニアは、今をときめく爆乳CMタレントとのキスシーンでもテンションが上がらないほど、柳葉敏郎の手の届かない位置に達しようとしていた。今日に限って言えば、爆乳のことを考えたのは朝ごはんのときバターロールを見た一瞬だけ。あとは本番ギリギリまで演技のことを考えていた。
 超一流が持つオーラは不思議。ロケ地の展望室のエレベーターが開いて、菊之介ジュニアが一番最初に出てきた時、演技派をもって自任する妖精たちがそよ風のようにそこら中を大人数で舞い始めたのに気付いたテレビマンは出世する。時々妖精同士でぶつかっているが、そこは社交ダンスと同じくふとした回転でカバーしている。気がつけば辺りは、なんとか空いているところに行こうとする妖精たちの横のステップに包まれていた。
「本番いきまーしゃーあっす!」
 ADのでかい声に、集中しきっていた窓の外を見ていた菊之介ジュニアがビクッとするのと時を同じくして、妖精たちがADの方を向いた。しかし、菊之介ジュニアの集中力のリターンエースが決まると、妖精たちも穏やかにまつげを伏せた。
「祭りがスタートラインについた、ぜ……」
 場が静まり返ると、裸の妖精たちは全員カメラの後ろに立ち、見学し始めた。いい加減邪魔だからだ。偉そうに腕を組んで、体重を後ろにかけ、ときどき隣同士なにか話している。
「シーン15、カット8  よーいスタートはいっ せーの」


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 MATのテーマが流れる中、カメラはロマンティックな夜景をとらえている。そこからグルッとカメラがパンして、食事をしている栗山新幹線(菊之介ジュニア)と月影日傘(爆乳CMタレント)が映し出された。カメラは止まらず、そのまま月影日傘の胸の谷間にゆっくりとパンフォーカス。月影日傘は胸を強調した服を着ている。胸の谷間がクローズアップされきった瞬間、画面下に「G」の文字が映し出される。息つく暇もなく、突如カメラは栗山新幹線の顔のドアップに切り替わる。なんという精悍な顔つき。自信に満ち溢れている。二秒後、またGカップの谷間へ。浮かび上がるG。そして今度は1.5秒後、新幹線。同じ顔。1秒後、谷間。G。もちろん音楽は流れ続けている。

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「月影くん。誕生日おめでとう。めちゃくちゃおめでとう」
「ありがとう。新幹線さんにバースデイを祝っていただけるなんて思いもしなかったわ」
「シュワシュワシュワ……これ、プレゼント」
 栗山新幹線はシャンパングラスをロマンティックに演じながら、何気ない様子でテーブルの下に手を伸ばす。そして取り出したのは、
「すっごくキレイなエナメルバッグ……」
「同じくらい君と光っている永遠(とわ)にビカビカに」
 白色光によって、四方八方からライトアップされるアディダスのエナメルバッグ(黒)。光沢のあるボディーはギンギンギラギラと白い光をはじき、水もはじきそうだし、沢山ものが入りそうだから部活のときに使うといいし、なによりガイガンみたいに美しかった。
「新幹線さん……」
 よだれが出るほどいい雰囲気。テリーヌを山ほど食べてベタベタした月影日傘の唇がいやらしくクローズアップされる。一応、もう一度胸の谷間に画面が切り替わり、いかんいかんと言わんばかりにすぐ戻り、新幹線どアップ。妖精たちのスタッフ笑いが響いた。

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「あ おーまかせ! おーまかせ! おーまかせ!」
 妖精たちが手拍子でリズムを取りながら一斉にはやし立てる。一瞬その様子が映し出されたが、全員裸なのでモザイク処理がなされている。誰も言わないが、エロいシーンが多かったので下腹部のほうは少しそういうことになっている。このエキサイティングな胸の高ぶりは、いいぞ。
 立ち上がり、テーブル越しにキスしようと顔を近づけ見つめあう二人。ここでカメラは、ディレクターチェアーに座った監督の姿に切り替わる。監督が右手を上げる。シェパード犬が離される。
「ゴッ」
 これはシェパード犬の訓練師の声だ。シェパードは一直線に新幹線のもとへ、自慢の脚力で突っ込んでいく。

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 そして犬は訓練どおり、新幹線の腕に巻かれた「訓練された犬噛み付き用カバー」に噛み付き、そのまま床に引っ張り込もうとする。
 ガシャーン! 拍子にテーブルのグラスが倒れ、厚手の透明ビニール製のテーブルクロスが掃除しやすく汚れる。あまり高い店ではない。モスグリーンのTシャツを着た家族連れの汚いテーブルが一瞬映し出される。

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「ウ~~ッ! ワッ、ワフッ!」
 腕に唸る犬をくっつけたまま、それでも新幹線はキッスしにいく。もうしたくてしたくてたまらないのだ。テーブルにつき直した手がワインをはねっちらかす。月影日傘は、あまり無理せず、目を閉じて待っている。犬に気付かない振りをしている。
 そして近づく顔。見つめ合う二人。思わず自分の唇をなめる妖精。唸る犬。時計を見るジャーマネ。そしてキッス。右手で乳を揉む新幹線。
「カーーーーット!」


 監督がトラメガで叫びながら、若人の勢いで立ち上がる。
「菊之介くん、おっぱい! 今なんでおっぱいを揉んだの! 台本に書いてないよ! 手は腰!」
 菊之介ジュニアは、あくまで演技のことを考えているという顔で振り返り、監督に向かってうなずきつつ、最後のひと揉みをして乳から手を離す。
 妖精たちは舌打ちして監督を見た。しらけっちまうぜ。それから腕を組み、上と下で何度も何度もうなずきながら菊之介ジュニアを尊敬のまなざしで見つめた。
「俺たちゃ、あの人についていくだけよ」