名付け親

「君達が先生のことを三流忍者だと思っているのは知っています。まだ若いから、すぐに人を舐めてしまうそういう気持ちもわかります。先生だって、忍術学園に入ってきて担任の先生が太っていたらイヤだからわかる。でもしょうがない。もう年だから、太っちゃうのもしょうがないところがある。ただ、この太りについて一言いわせてもらうと、一休さんが『慌てない慌てない、一休み一休み』って言う、そのニュアンスで先生は太っています。だから考えようによっては深く尊敬できるはずです。本場タイでも、一休さんはカリスマ的な人気を誇っています。クレヨンしんちゃんはそれ以上に大人気です。そしてこれは偶然の一致ですが、先生は乳首に生えた一番長い毛を『母上様』と呼んでいます。
 いや、もちろん、先生が君達の悪口や陰口を耐えるのはわけないことです。忍者の忍は、忍耐の忍。君達に悪口を言われて傷つくことは傷つく。それでも表情を変えないで耐え切るのは、やってやれないことはない。修行を積んだからです。先生は大変な修行を積んでいます。この贅肉を年輪に喩えてもらえればわかると思います。今日帰ったらぜひ喩えてみて欲しいんですが、それはそれとして、君達の悪口に対して、先生がインターネットにストレスを散らしたところで、果たして君達のためになるのかと、先生が言いたいのはそういうことなんです。先生は24時間体制で君達のことを考えている。こんな関係のままでは、お互いに成長できないと思います。先生は、先生先生とちやほやされることで成長していきます。先生これ見て先生これ見てと言われるたびに一歩ずつ階段をのぼっています」
 メガネブタ(俺がいの一番に奴へプレゼントしたあだ名)の言葉に、クラス中の黒装束が引き込まれているのを俺は感じていた。健康診断で一列に並んでいる時を利用して奴の悪口を言うようクラスメイトを誘導していた俺は、新しい学校でもクラスの中心になれるような気がしていたが、金八先生からGTOまで、20話かけて生徒の心をつかんでいく学園ドラマの匂いがしてきた。クラスメイトの目は、アニメの話がちょっと出ただけで輝き始めていた。俺はもちろん、こいつを認めなかった。俺はこんなところにいる人間ではない。本当なら今頃、筑波の付属中学校にいるはずだった。不景気と家の地盤沈下がなかったら。
「だから、入学一発目の授業は先生の威厳、授業が始まる前の一週間、君達が主に健康診断をしている時にいつの間にか失われていた威厳を取り戻すためにあてたいと思います。マイナスからのスタートになりますが、卒業式までにいい思い出化させていきたい考えです。苦労した生徒ほど記憶に残っている、そんな定番の台詞を言う為の飽くなき挑戦です。私は今から、隣の校舎にかぎ縄を引っ掛けて、かぎ縄というのはこれです、縄の先端にかぎがついています。これを窓から投げて、隣の校舎のどっかに引っ掛けます。こんなふうにです」
 メガネブタは教室の中で縄をぶんまわし、窓から外に投げた。一直線に隣の校舎に飛んで行き、開いた窓から中に飛び込んだ。太った三年の忍者が窓際に座っているが、そこで見失った。
「彼の椅子の脚にかぎがひっかかりました。先生はこの縄をつたって向こうに行きます」
「せんせー、そんなの忍者なら普通できるもんじゃないのー?」「全然すごないでー!」
「君、関西の人? もちろん、こんなことは先生にとっちゃ朝飯前です。でも、ここに一つ条件が加わるとどうですか。その条件とは、君達が屋上からバレーボールを雨あられのように投げてくる、です。屋上には既に、先生の怪しい術によってバレーボールが600個用意されています。さあ、屋上に行ってください。先生が縄をわたり始めたら、バレーボールをぶつけてください。本気で」
 俺達は教室を出て屋上へ向かった。先ほどの発言からもわかるとおり、既に一部のクラスメイトは先生側についていた。階段を上っている時も、入学一週間とは思えないほど騒がしい雰囲気で大いに盛り上がっている。
 屋上の扉を開けると、バレーボールで埋め尽くされていた。俺はそれを一つ拾うと、先頭に立って、もうボールの上に乗る感じでかき分けて進んだ。屋上の縁のスレスレに立つと、眼下にメガネブタの投げた縄を確認。全員の方を振り返る。
「全員ちょっと聞け。今からメガネブタにボールを投げた奴はこの俺が三年間いじめる! しかも計画的にだ! 既にしおりはできている」
「な、なんだってー! ブタメガネにボールをぶつけるなってー!?」「ブタメガネはぶつけるように頼んだじゃないか! そして普通いじめとは無計画にその日の気分で行われるもののはずだー!」「でもしおりなんか出来ているはずないよー!」「本当なら見してみろよー!」
 俺は、ポケットからホッチキスでとめた紙の束を取り出す。さっき教室で、いらないプリントから早技で作ったものだ。表紙も自分で描いた。犬にオシリを噛まれている人の絵だ。正直言ってこれはあんまり関係なかった。それをあまり見せないようにしてしおりをパラパラめくると、チラチラとプリントに書いてある『1日 レクリエーション』『忍術学園の給食をのぞいてみよう』などの活字が挿絵つきでのぞくが、見ているほうには一瞬すぎてよくわからない。そして俺は自分で書いたところでパラパラを止める。そこには、ハサミ、ホッチキス、油性ペン、鉄パイプ、サソリ、ワサビ、バリカン、食卓レモン、落ちてたカラスの羽、犬、少し離したところに、包帯、消毒用アルコールなど様々な道具の名前が羅列してあり、それぞれにチェック欄がついている。ページ右下では、ドラえもんが「前日は早く寝よう」と言っている。
「応急処置までやる気だ。本当に計画的なんだ!」「ドラえもん…うめぇ」
 震え上がったクラスメイトが、次々に昨日配られた手裏剣を落っことす中、一人が反抗的な態度で前に出てきた。
「ゴチャゴチャゴチャゴチャ、俺はお前の意見なんか知らんし、いじめられもせえへん。せえへんよ。なにはともあれ先生の指示に従うだけや。先生が気に入ったし、なんだかおもしろそうやさかいにな」こいつはさっきの関西人か。
「俺だって気に入ったよー」「確かにあの人はいい先生の部類に入ると思うよ」「聞いただろ、心に響くあのトークを。君ももう意地を張るのはやめようよ」
「俺らは先生を信頼しているからこそボールを投げるんや。誰の指図もうけんとはこのことやでほんまに。もうあきまへん」
 その時バッコーン! 俺の投げたボールが関西人の顔面にぶつかり、お好みにかけたどろソースよろしく鼻血が垂れる。よくお似合いだ。関西人は「ティッシュティッシュ」と言いながら、ゆっくりとバレーボールの上に仰向けになっていき、その角度とともに目を閉じていく。赤ちゃんのリアルフィギュアのように。
 周りで喋っていた奴らも血を見て完全に黙り込んだ。
「今のは見せしめだ。次に口ごたえした奴は……」
「ちょっと待ってよ」今度はくノ一の一人が声をあげた。「一つだけ聞かせて紅(くれない)? どうしてあなたはブタメガネにボールを投げないの。ブタメガネを一番からかっていたのはあなたじゃない」
「俺は、メガネブタを――」
「ブタメガネね」
「俺はメガネブタを」
「ブタメガネ」
「ブタメガネをおさむいメに合わせてやろうって言ってるんだ。今回のことは、あいつが生徒のハートをつかむためのショーなのさ。あいつはプロの忍者だ。バレーボールを投げられたところで全然平気なのに、そんなお手軽な方法で俺達の尊敬を集めようというんだぜ。まんまとその手を喰らうなんてごめんだね」
 調子のいい奴らなので、ほとんど全員、話は聞いたぜ、というふうにちょっと微笑んだ。ところがまた一人あたらしいのが出てきた。
「話は聞いた。でも、何も投げないというのは少々ニンジャらしくないとは思わないかい。もちろん今君が言った理由で、僕達はバリボーを投げない。僕達が投げるのは、そいつさ」
 見るからにアメリカの血が入っている男は床のバレーボールを指さした。いや、バレーボールではない。みんながボロボロ落っことしたまま拾いもしねえ手裏剣を指さしている。
「僕達はシュリケンを投げる。もしこんなことさえ予期できないのなら、あのブタ……えっ…メガネ…ブ……あれ?」
「メガネブタ」
「ブタメガネ」
「ブタメガネから教わることは、何もないということだ」