右腕一本

 午前何時か知らないが、目が覚める。左腕の感覚がゼロ。俺の左腕が、俺の腕なのに、ベッドにへたって動かすことができない。あんなに動いてたのに、左腕あんなにお茶碗担当してたのに。ウソだと言ってくれ。何百ものステーキを押さえつけてきたお前じゃないか!
 それが週4。おかしいだろ。こんなに毎日左腕がしびれて起きてしまうのは病気なのではないか、それかおかしいだろ。だから俺は悪役になれると思います。悪役といえば片腕の技巧派、かっこいい台詞、徐々に明らかになる素性、です。主にナイフを投げて戦う予定です。よろしくお願いします。


 しびれで目を覚ました俺は悪役のもう一つのシグナルであるサングラスを既にかけきっています。かけこなしきっています。そして外人になりきっています。
「ブラック・ムーン・スパイラル」
 哀しげにつぶやいたこのかっこいいセリフ。意訳すると、殺し合いの螺旋というバガボンド発の言葉です。でもバガボンドは読んだことないという設定になっているので安心して言い放ちます。
 左腕がブラブラしている俺は、やたらギシギシ言うベッドを音もなく抜け出し、台所まで行って牛乳を飲んでから、主人公に襲いかかります。このときの俺はいつも、誰も見ていないのをいいことにパックからダイレクトで牛乳をがぶ飲みしてしまうとのことです。あまりやると、飲み口がフニャコフニャ夫になってしまうので細心の注意が必要です。
「一つだけわかっていることは、俺を捨てた母親のイニシャル……C・K」
 廊下をすり足で進みながら、唯一の友である漆黒の闇に素性を小出しにしていく俺。まさにお手本のような悪役ぶりといえます。俺はここを一番見てもらいたかった。そしていよいよ主人公の寝室へ。
 暗闇で襲うよりも、むしろいきなり部屋の電気をつけるのは、このまま膨らんだベッドにナイフを突き立ててぬいぐるみを殺してもまったく意味がないから。不意打ちで電気をつけることで、物陰でかっこつけていた主人公が丸見えになり、さらに目をくらませることもできます。俺はサングラスをしているばかりか冷蔵庫の光まで浴びているので、さぞ戦闘を有利に運べることでしょう。全てのプラス要素が俺に向かって手を振っているのが見えます。今だっ。この余裕の展開ならもう一つ小出しにできる。
「俺をくるんでいたタオルに、そう刺繍が入っていた」
「それカルバンクラインじゃないの」
 俺は不敵に笑い、いったん電気を消します。顔が赤くなっているからです。主にナイフを投げて戦う予定です。よろしくお願いします。