刺激のない出会いに意味などなし

 カメダスをインドに届けたい。その思い一つでスポンサーなしの旅を続ける夢島は、中央アジアの砂漠で途方に暮れていた。砂漠に入る直前バーミヤンに2時間いたので、飲まず食わずで行けそうな気がしていたのが間違いだった。夢島は腹ペコだった。子供の頃から口下手だった。
 夢島はカメダスを顔にかぶせ、岩に寄りかかって休んでいた。すると、突然、岩が動いて派手にひっくり返った。カメダスもずり落ちる。頭皮に少年時代ぶりに砂が入りこんだが、一週間風呂に入っていない夢島はものともしないで顔を上げた。
 一頭のラクダがこっちを見ていた。岩だと思っていたのは実はラクダだったのだ。間近で見るとかなりでかい。背中のコブに白いYシャツ、趣味のいいネクタイを締め、シックな紺の背広をひっかけたヒトコブラクダは、いい年の取り方をしていた。
「えっ、僕……僕……」夢島は動物相手に口ごもった。
 ラクダはそんな夢島を見下ろすどころか見下していた。砂漠だからというより、都会の真ん中だとしてもそんな目で見ただろう。なぜならこのラクダ、仕事ができるばかりかスポーツも万能ときていた。何不自由なくチヤホヤされてきたが、慢心せず己を高めてきた。知らず知らずのうちに鋭くなった目を通して見る夢島は、才能も努力も足りない、がんばり次第で社員登用を目指すクラスの人間。見下すなという方が無理である。
 夢島も目上かつ格上の雰囲気を感じ取り、砂の上に正座すると、手を突いた。
「ラクダ社長、僕を背中に乗っけて町まで連れて行ってください!」夢島は敬語で頼み込みながら砂に頭をうずめた。
 ラクダは、初対面のラクダを社長呼ばわりしてしまう夢島にひいた。世の中こんな人間ばかりではなかった。もっと仕事のできる人間をたくさん見てきた。自分を成長させてくれる本と出合ってきた。ラクダにとって、夢島から得るものなどなかった。強いて言えばカメダスが読みたかった。
 夢島はラクダの視線に気づき、カメダスを差し出した。ラクダは受け取ったが、まだ眠たい顔をしている。
「カメダスありがとう」
 ラクダはそれしか喋らなかったし、夢島を乗せようとする素振りすら見せなかった。しかし、もらうだけもらって黙っているようなラクダではない。ラクダは、カメダスのお礼に夢島にチャンスを与えたのだ。その目は雄弁に、お前という人間に興味を持たせてみろ、と言っていた。
 カメダスと引き換えに夢島に与えられた時間は2時間と、かなりあった。
 夢島は必死でアピールした。しかし、ラクダはもっと体の柔らかい人間をテレビじゃなくて見たことがあった。円周率をもう少し言える人間を知っていたし、ビートたけしのモノマネは全然似ていなかった。3分が経過した頃、夢島の特技が尽きた。
 やることのなくなっている夢島を見限って、ラクダはもらったカメダスを開いた。パラパラとページをめくり、他の漫画家が描いた両さんを少しのあいだ眺めると、またパラパラめくって閉じた。700ページ近く全部こち亀。とてもじゃないが、ラクダは今そんな気分になれなかった。夢島を見ると、こっちに背を向けて変な動きを見せている。後ろに飛ぼうとして、飛ぼうとするたびに、おっとっと、となっている。
 夢島は、与えられた2時間のうちにゼロからバク転をマスターしようとしているのだ。それに気付いたラクダは「そうだよ。ピンチの時こそ成長するチャンスなんだよ。それを伝えたかったんだよ」と言うタイミングをはかり始めた。そういう時はこちらから話しかけるのもありだと思っていた。