人間国宝

 人間国宝の陶芸家まさしは滴る汗をぬぐいもせず、厳しい顔付きで燃え盛る窯を見つめた。一週間剃らなかったヒゲの中には白いものが混じり、赤く輝きを放っている。まさしの顔に深く刻まれた皺は、今まさに年輪に喩えられようとしていた。
「はい今! テイク・ア・ピクチャー!」
 まさしはここしかないというタイミングで叫んだ。すかさず、弟子のツトムが横でデジカメのシャッターを押す。はじめはデジカメの操作に慣れなかったツトムも、今ではボタンの長押しが誰よりもうまくなって学校の成績もぐんぐん上がっている。
「チェック」
 まさしは顔を上げ、汗をぬぐい、ツトムが差し出したデジカメの画面を見つめた。
 撮れている。国宝級に撮れている。
「……よし、デジカメプリント。大急ぎ!」
「はい!」
 ツトムはつっかけを履いて出て行った。
 まさしの周りには8人の弟子達がいい感じに間隔をあけながら正座して並んでいるが、お前らはもう少し苦労したほうがいいという意味で、セーターを着させられた上に真正面からハロゲンヒーターがあてられている。
「誰か、容器を片付けておきなさい」
 まさしは撮影の前にたいらげたキンレイ鍋焼きうどんの空き容器を指さすと、シャワーを浴びるため工房を出て行こうとした。しかし、アメリカからやってきたジョージが声をかけた。
「師匠。いつになったら俺達に人間国宝になる術を教えてくれるんだい。俺はあと三ヶ月で、サンディエゴに帰らなくちゃいけないんだが」
 まさしは立ち止まり、後姿で仁王立ちとなった。
「だいたい師匠、あんたは近頃めっきり陶芸もしなくなっちまった。ただ、窯を燃やし、サンクスで買ったキンレイの鍋焼きうどんを食って汗をかき、人間国宝っぽい写真を撮影しているだけだ。これじゃ俺達、何のためにもなりゃしないぜ」
 どこからか、目で盗め、目で盗め、という声が聞こえたが、弟子達は聞こえない振りをした。
「あんたの陶芸は紛れも無く国宝級だったはずだ。いや、今だってそうだろう。俺は、鑑定団であんたの作った煮物とか入れるやつが1億円をたたき出したあの日の紳助の顔をひと時も忘れたことはない。その手は、何の変哲も無い泥の塊をキャッシュバックしてしまう神の手じゃないか。そんなあんたが、かっこつけて、気取った40代向けの雑誌に載せる写真をせっせと撮る必要なんて、どこにあるんだ!」
 いつもはクールなジョージがメガネをずり落とし、立ち上がりながら必死で喋っている。それもこれも、まさしに人間国宝としてのまさしを取り戻して欲しかったからだ。あの日のまさしは過去形になってしまったのか。他の弟子達も涙を流して、まさし、ハロゲンヒーターをどけてくれ、とすすり泣いた。
 まさしは振り向き、ジョージの後ろへ立った。
「何が悲しくて心のろくろまで電動にせにゃ」
 まさしは呟き、ジョージを無理やり座らせると、ハロゲンヒーターのメモリを強にした。名刺に人間国宝と書いてあるまさしの本当の気持ちは、誰にもわからない。