印象派 〜俺達はきっとみんなチンパンジー〜

「1600円もするの? とおっしゃっています」
 黒いスーツの男は、周りにいるおじさん達に向かって知らせた。顔を見合わせあってざわざわするおじさん達は、こう見えて、これを読んでいるお前らの数百倍は勉強が好きな大学教授たちである。
「すぐそこの上野動物園、600円だぞ。都民の日なんかタダよ。そうおっしゃっています」
 どういう状況なのかと言うと、美術館の入場口で、首からぶら下げたガマグチと窓口を交互に見ながらチンパンジーが何やら喋ったおさるボイスを、黒いスーツが通訳しているのだった。チンパンジーは2000円を取り出し、窓口に叩きつけながらまた何か言った。
「府民でもだぞ」
 チンパンジーだけでなく、通訳の黒スーツ、大学教授も全員チケットを購入し、半券を財布のお札を入れる部分にしまった。女と喋っていて話題に困ったら、財布を整理する流れで引っ張り出してこようと言う腹だ。場所はイタリア料理の店に決まってる、無難だからだ。
 ところで、途中で団体料金になることに気づいて窓口と喧々諤々の大騒ぎをするという流れがあったが、省略する。いったん払い戻せ、一度ニュートラルな状態に戻そう、と言っても戸惑っている鈍そうな女に向かって、えぐい悪口も飛び出していた。
 そんなこんなあって、やっとのことで、天才チンパンジーを先頭にぞろぞろと全員入館した。 天才チンパンジーは、早くも二本足で立ち、手を後ろに組んでいる。その興味深い行動に、大学教授たちがここぞとばかりに、地面すれすれの角度からビューカムを回す。撮影は特別に許可されている。
「こういうの好きだなぁ〜、とおっしゃっています」
 マネの『草上の昼食』の前でチンパンジーが顎に手を当ててつぶやいた言葉が通訳されると、大学教授は一斉にメモを取った。
「なんとなく自分に通じるところがある」
「いや俺が凄いとかそういうわけじゃなく、感覚としてわかるっていうか」
「同じチームという感じが凄いある」
「クラスが一緒になったら友達になるというわけでも無いけど、お互いに一目置いているみたいな関係性」
 次々に通訳されるエテ公の言葉を全てメモする暇も無く、チンパンジーはすぐに隣の絵に移り、何やらうなずいている。一行はそうやって、チンパンジーを中心に次々と絵を見ていった。
 モネの絵が沢山飾ってあるコーナーの前に来た時、チンパンジーは長い間立ち止まった。少し絵から離れて腕を組み、何作か見回している。サルなりに厳しい顔をしている。大学教授たちは興味津々でチンパンジーの動向を見守り、後姿の写真を何枚か、フラッシュをたかずに撮った。ケツが丸出しだ。
 やがて、チンパンジーはため息を一つついて振り返ると、通訳に向かって、はっきり「ウキ」と言った。そしてそのまま歩き去っていった。
 通訳が大学教授の方に振り返り、「印象派」と一言いうと、おぉ〜、と小さな歓声があがった。
 チンパンジーはそのまま歩いていくと、疲れたのか、展示スペースの中央にある、4つかためて置かれた正方形の背もたれの無いソファに寝転がった。しかしすぐに上半身だけ起き上がると、大学教授を見回し、指で腹をかいた。そして立ち上がり、また絵に向かっていった。
 ピカソの『泣く女』の前まで行くと、チンパンジーはちょっと見ただけですぐに振り返った。さらに、独り言でも、通訳に言うでもなく、教授達に向かって熱弁を始めた。さっぱり何を言っているのかわからないが、誰もが神妙な顔でその話を聞いた。全て言い終えてから、通訳が訳し始めた。
「ピカソは普通の写実的な絵もめっちゃ上手くて、その上でこういう絵が描けんねん。せやから誰も真似できひん。ダウンタウンの漫才は、絵で言うならピカソや」
 後日、複数の学者が一斉に、天才チンパンジーが島田紳助の言ったことをそのまま言っているという論文を発表した。