たぬきの泥船

 むかしむかし、とにかくたぬきの泥船が一向に進まなかった。しかし当のたぬきは無駄に大きな泥船の甲板の上に立って腕を組み、
「目算、あと二百メーターはいける」とかなんとか言っている。
 うさぎをはじめ、きつね、おじいさんおばあさん、そのほか周りで自分の舟をめっちゃこいでいるお馴染みのメンバーは、たぬきの様子を透明なサンバイザー越しに確認すると、ここぞとばかりにたぬきをバカにし始めた。
「舟に泥ォ……? 大人をからかうんじゃないっ」「やーいポンポコリンの味噌っかす」「ぼんくら」
 たぬき以外の舟は数人で乗るタイプだったため、あんまり大きい声を出そうとすると揺れた。たぬきにはみんなの声が聞こえているはずだが、なおも胸というかお腹を突き出して、
「おもかじいっぱい!」とか叫んでいる。たぶん一生懸命こぐという意味だと思っているのだ。
「ぼんくら、もう棄権しろよ」「ぼんくら、諦めろよ」
 泣きが入ると思われたたぬきはしかし、相も変わらずお腹丸出しのでかい態度で、
「いーざすーすーめーやーキッチーーン」と歌っている。たぬきは今、船つながりのギリギリのところで勝負していた。
 その憎らしい姿を見て、プロフィールに「たぬきの永遠のライバル」と書かれているうさぎの目は、子供用目薬のCMの時のように赤くなっていく。ちなみにたぬきのプロフィールには「強風の日は金玉がぶらぶらしているぞ」と太字で書かれていた。
 もともとストレスに弱いうさぎは、たぬきを見ているとパラッパラッパー最終ステージのように色違いで押し寄せてくる胃のピリピリ感に、これ以上ためこんだらよくない、また通院する、と思って、
「俺の目の前から消えうせろ!」手にしていた櫂をおもくそたぬきに投げつけた。
 櫂はたぬきには届かずに泥の舟へ直撃したが、うさぎはにやりと笑った。なぜうさぎは笑ったのか、その答えはふわふわのしっぽが知っていた。なんと、櫂の直撃した場所に亀裂が入り、その亀裂が広がりはじめたのである。この瞬間、今ここにいる一人一人の顔が順番に大写しになるような気がして、各々キメ顔を作った。しかし、全員が全員まったく動じないクールなキャラを演じたため、ウソくさい。
 ピシピシピシピシ……。
 そうこうしているうちに全体に細かくひびが入り、小さな欠片が一つ、また一つとボロボロ落ち始めた。みるみるアニメーターの手が疲れていく。同時に好きなことを仕事にできる幸せをアニメーターが感じているとき、たぬきが加山雄三を歌い始めた。
「う〜みよぉ〜、おれのう〜みよぉ〜〜〜〜」
 そして、全ての泥が一斉に崩れ落ち、アニメーターにやり遂げた感が出た。
「おぉ〜きな〜、そのあ〜いよぉ〜〜〜」
 しかしどうしたことか、たぬきは同じ場所でまだ歌っていた。聞いて驚くな、俺にひれ伏せ、なんと、泥の中から真っ白にピカピカ光るクルーザーが現れたのだ。泥でクルーザーを包みこむウルトラCの大技だった。
 無論、本来ならクルーザーでの参戦は禁じられている。昔話だから。しかし登場人物たちは心のどこかで「始まっちゃえばオールオッケー」と思っていた。クルーザーに乗ろうと、どこから生まれようと、ごちゃごちゃ言われる筋合いなし。
 そして何より、事前に行われる舟の審査をたぬきはきちんとパスしていた。川岸に立って戦況を見つめていた審査役のツルは、これが、私がたぬきさんに出来る精一杯の恩返し、と人間の姿で微笑んでいた。別にたぬきが何をしてくれたというわけではない。強いて言えば今朝お腹を触らせてもらったが、もうとにかく恩返しできれば誰でもいいという、ここまでくるとただのクラスの気持ち悪い女子だった。
「エレキの若大将、そのクルーザーをどうしたんだ」「エレキの若大将、それは自分のものなのか」
 呼ばれ方も変わり、たぬきの勢い、株価は、リストラ派遣が寄り集まって年末年始にキャンプをするこんな時代にうなぎのぼりの最高潮。一本だけ途中で外に突き抜けてしまって全然あてにならないグラフがあるが、そいつが俺だ、という自信満々な態度で、今にもカジキマグロを釣りに行きそうな雰囲気だ。確かにグラフのそばには「たぬき」と書いてあり、最も伸び率の大きい95年のアメリカと比較してもその差は歴然である。
「このクルーザーは」
 そう言うたぬきは、いつの間にかオレンジ色のライフジャケットを羽織っていた。メタルテイストただよう柵を手でつかんで前のめりに覗き込むと、言い放つ。
「知り合いの和尚と、六四で金を出し合って購入した」
 慌てたのが、ゴムボートに乗っている和尚チームである。和尚たちは次々に立ち上がり、次々に座り込んだ。ゴムボートの安定感のなさに加えてこの高齢、神も仏もないのか。
「どこの和尚か教えろ、電話してやる!」一人の和尚がバランスを崩して水面に落下しながらたぬきに向かって叫んだ。
 バッシャーン。
 しかし、たぬきは、放り込まれた木魚にしがみつく和尚を横目に東京湾ナイトクルージングへ出発。速力をあげながら川のど真ん中を進んでいき、それによって発生した波がみんなの船を揺らした。
「ひ、ひえ〜、つかまれ〜」
 俺は三百作以上書いてきた勘から、このタイミングを逃したらグダグダになる、ていうかもうなってると判断し、こうつぶやく。
「めでたしめでたし……」
 そして夜明けのコーヒーを一口。言っておくが、俺のいれたコーヒーはとにかく甘い。