何歳でネズミと接しよう

「橋本さんには、チーズを食べようとしただけなのにいつの間にか檻に閉じ込められている気持ちがわからないんですよ」
 そんなこと言われたので、俺は中学生の時の感じで、すげえ頭にきたんだね。ネズミ相手に熱くなったってしょうがないよという気持ちで眉毛をぶちぶち抜いていた時は、もう遅かった。俺は無意識のうちに、もう一方の手を使って、手近にあった文鎮をネズミのしっぽの先端の方に乗っけていた(その時、ちょうどお習字をしていたのだ)。
「痛い痛い、止めろ橋本」
 乗っけられたネズミは逃れようと走ったけど、びくともしない文鎮を中心にしてしっぽの長さのところをぐるぐる回っただけなので、少し楽しそうな感じがして俺はざまあみろと思った。
 周りの他のネズミたちは、この状況を打破するものを何か持っていないかと頬袋から次々と出してきたが、全部、何かの種子だった。そして、各自、出した種子を食べ、ダブっている種子を交換したりし始めた。一匹は栗を丸ごと入れていたのを出したが、もう二度と頬袋にしまうことができず、泣いた。
「離せって橋本」
 その間も、文鎮ネズミはぐるぐる回っていた。俺は今更ながら、ネズミに名字を呼び捨てされているのにだんだん腹が立ってきた。そしたら、こんな性格の悪いネズミと関わりあってるのもバカらしくなって、文鎮を取ってやった。それが大人だと、大学一年の時の感じで思っていたが、心は実は煮えたぎっていた。
 文鎮ネズミは大慌てで他のネズミのところに突っ込んでいって鼻のヒクヒクが見たことの無いスピードになっていたが、しっかりと俺のことをにらみつけていた。
 しかし、もはや定年間近の落ち着きと股引きを身に着けている俺はそこでカッとせず、ムッとせず、むしろなぜかホッとしてみせることで、この状況と不況を乗り切っていくような気がしていた。
「橋本、調子に乗るなよ」
 俺は動じない。
「お前の母ちゃんデベソ」
 そんな悪口で動じるものか。
「お前の母ちゃんのデベソに霧吹きかけて遊んでやるよ」
 これはさすがにネズミに言われたということを考えるとあんまりで、キレてもいいところだが、今の俺はギリギリ、会社に勤め始めた二十代のような笑顔を見せる程度の余裕があった。しかし、犬をヒモ無しで散歩させている人のように、内心ヒヤヒヤしていた(今にこの畜生は走り出すのではないか)。
 他のネズミたちは、そこで突然始まった食事会が一段落したということもあり、ぼちぼち帰ろうかという雰囲気でいっぱいになっていた。文鎮ネズミも、その流れのまま、尻と、文鎮のせいで少しへこんでいるしっぽを向けて、帰って行こうとした。
「橋本、もうお前、ディズニーランド出入り禁止な。ディズニーランドに来ても、入れてやらないからな」
 そこで俺はキレた。キレたというより、その時の俺は四十代の、普段は気さくだがここぞというところでは部下を厳しく叱責できるあの感じを身にまとい、股引きをスタイリッシュにはきこなしていた。
「お前関係ないだろ!」
 とにかく、この股引きが定年間近の時の股引きと違うのだけは、わかって欲しい。