アメリカの政治制度

 俺が「全然覚えられねーよ」と言って投げた参考書が、クリントンに直撃した。
「いて」とクリントン
「ごめんなさい。わざとじゃないんです。アメリカの政治制度がクソめんどくさいんです」
 クリントンはどらどらという感じで、俺が投げた参考書の、折り目がついているところをのぞいた。クリントンはばかでかく、190センチあった。
「うんうんうん……めんどくさくないよ」
 いつの間にか俺が座っている横のやや後ろ、家庭教師のポジションにきていたクリントンは、俺の夜食(ビーフジャーキー)を一口食べるとまた言った。
「こんなもんばっか食ってんじゃないよ。ていうか、めんどくさくないよ。むしろ覚えやすいし、もっと言うと覚えることあんまないよ」
「でも、俺、公務員試験の勉強し始めたばかりだし、何からやっていいのかわからなくて」
「そんな事情は知らないよ。クリントンにはわからない。頑張ればいいじゃん。どうして頑張らないの。私は頑張ったから大統領になれたし、頑張ったから、思ったよりもクリキントンと言われずに済んだんだよ」
「すいません。でも、早く本題に入って欲しいんです。俺はこうやって書いて色々考えてきたから、こうするのが一番いい勉強法だと思ったんです」
「だからそんな事情は知らない。まずアメリカは三権分立!」
「はいっ!」
 俺はノートに『三権分立』と書く。うまく書けないで曲がってしまったが、持ち前のまあいいや気質でシャーペンをノッキングし、さあ次こい、という気持ちを示した。
「だから、大統領や長官は議席を持たない。議会に対しても責任を負わない」
「ってどういう意味」
「全然基本わかってないよね。君は全然基本をわかっていない。三権分立ってなによ」
「立法・司法・行政です」
「じゃあ大統領はどこに入るの。クリントンはどこの人なの」
「……行政です」
「議会は。アメリカの連邦議会は」
「立法」
「それが完全に分離してるんだよね。国家権力を独立する三機関に委ねるんだよね。それによって、権力の濫用を防ぐわけだよ。この原理は、ロックがまず二権分立を主張して、モンテスキューが発展させたものだよね。それを、アメリカ憲法がまんまパクってるよね。一番まんまパクってる」
「へへ、パクってる」
「パクってるって言い方はおかしかったよね。アメリカ憲法は、三権分立を最も多く実現しているんだね」
 俺が鼻で笑ったからだろう、クリントンはすばやい動きで、俺をのぞきこむようににらんで言った。俺は思わず必殺すいませんスマイルを見せそうになったが、そんなッポン人丸出しの卑屈な笑顔を浮かべたら一巻の終わりだ、戦争だ、と思ったので、武士道の顔つき(よく知らないが、バガボンドで読んだ武蔵の顔つきでいいのだろう)で応じた。クリントンは、満足したように視線をそらした。
「完全に分かれてるから、行政の長である大統領は議席を持たないし、議会に対しても責任を負わないんだよね。議会の解散権も持たない。逆も然り、議会は大統領を不信任することが出来ない」
「押忍」
 俺はそう言ってから、押忍というのはあんまり武士道じゃないかも知れない、ただの体育会系かも知れないと思ったが、まあいいやと思った。まあいいやわかんねえだろ。
「で、議会の方だけど、上院と下院があるのはわかるね」
「はい。衆議院と参議院、的な」
「上院は元老院。下院は?」
 俺は知らなかったが、NOと言える日本人が欧米では気に入られるに違いないと思っているところがあるので、クリントンを今年一番の顔で見上げた。
「わかりません」
「代議院ね」
 ノーリアクションのクリントンを見て、俺はやっぱり大統領は、スキャンダルがあったとしてもすげえ、と思ったのだった。ドレスにひっついた精子のDNA鑑定をされてもすげえもんはすげえ。感動した。
「100議席の上院議員の任期は6年。435議席の下院は2年」
「ふむふむ」
「上院議員は2年ごとに3分の1の議員が改選される」
「絶対覚えられなそう。今ふむふむって言ったけどダメそう」
「頑張れよ。上院は6年だよ。どうして頑張らないの。下院は2年だよ。ていうか、これしきのこと覚えられないで公務員試験とか言ってるの。私は頑張ったから大統領にになれたってさっき言っただろ。アメリカは大統領制!」
「はいっ」
「大統領制では、大統領が権力を持つから、三権分立が実現される。日本みたいに議院内閣制だと、そうはいかない。だって、国会の与党から内閣総理大臣が選ばれるだろう。立法府と行政府が連帯責任だろ。それで、衆議院を解散させるとか言ってるだろう。な?」
「なるへそですね」
 俺は日本の例でよくわかったので、深くうなずいた。なるほど、麻生さんは自民で、行政府の内閣総理大臣で、衆議院を解散させるとか言ってた。
「アメリカじゃそうはいかない。議会に対して何も権限を持たないし持たれない。大統領は……大統領の任期は4年!」
「オリンピックと同じだ」
 俺は喜んで、『大統領の任期は四年』とノートに書き、その横に『オリンピック』としたためた。
「なんでもオリンピックの開催間隔と東京ドームの個数で考えるのはよすんだ。日本人の悪い癖だよ。だいたい、『大統領の任期は4年 オリンピック』って意味がわからないよ。ちゃんと書きなよ。何それ。何なの。あと、さっきNHKの天気予報見て思ったけど、雪の予報に雪だるまを使うのはなんなの。ふざけているのかな。よく考えてみたらふざけているんじゃないの。そんなことでいいのか君たちは。雪だるまだよ」
 俺はそんなこと言われたので、泣きそうになってしまった。俺たち日本人がみんなで一生懸命考えてわかりやすいと思って天気予報に雪だるまの絵を使ったのに、アメリカで一番偉かった人にそんな言い方をされたら、なんだか泣きそうになってしまった。
 それでも、クリントンは説明を続けていた。
「大統領は、3選禁止。つまり、2回を超えて大統領やっちゃいけない。もともと、初代大統領ジョージ・ワシントンの2選が慣行化していたんだ」
 桜の木のエピソード一本でのし上がった人だ、と俺は思ったが、雪だるまのことが忘れられないので、やっぱり下を向いて黙っていた。
「例外として、第二次大戦中のフランクリン・ルーズヴェルトの3選の例もある。でも、1951年以降は、大統領の3選は憲法で認められていない」
 俺はまだぐずぐずしていた。こんなにベラベラ大統領の説明をして、クリントンは雪だるまのことはもうそんなに気にしていないのだと思ったら、なんだかくやしくて、また泣きそうになった。せっかく、みんなで考えて雪だるまの絵を予報に使ったのに、あんな言い方するなんてひどい。
「つまりね。クリントンクリントンはOK。みんな笑ってくれる。クリントンクリントンクリントンまでやると、しつこいって言われちゃうんだよ。スリー・クリントン・アウトだよ」
 頑なに下を向いていた俺は、クリントンが俺に気を遣っておもしろおかしく冗談を言ってくれたことがどうしようもなくわかった途端、クリントンのことを許さないぞと強く思い直すその気持ちとは裏腹に、とうとう目から涙がこぼれてノートの字がにじんだ。