ピンポンパンポン奴が死ぬ

 ターゲットは高級マンションの最上階に住んでいる。奴はS級の殺し屋。普通殺し屋は、すぐ逃げられない高層マンションには住まないとされるが、最近のマンションは殺し屋も安心して上のほうに住めるほどのセキュリティーを備え、ハイグレードな都市生活を六千万円台から演出してくれるのだ。しかし、もしも万が一の場合、逃げられまい。風呂上りに夜景が見たいという気持ちが、殺し屋達の心にスキを作るのだ。いよいよ今日、奴が死ぬ。
「ピンポンパンポン。コードネーム・マキシシングル、聞こえるか。こちら上司。お前の上司」
「聞こえます俺の上司」
「今どこにいる」
「奴の住んでいるマンションの下まで来ました。佐川急便の振りをして潜入します。他のお宅にピンポンし、潜入します」
「オーケー」
「上司、時間はオーケーですか」
「また呼ぶ」
 そう言うと、俺はスイッチを切り替え、今度はある場所へ潜んでいる部下を呼び出す。その部下は、奴の住む高級マンションの向かいのもっと高級なマンションに住んでいる。
「ピンポンパンポン。コードネーム・お前の縄跳び重すぎ、聞こえるか。こちら上司。お前の上司」
「聞こえます僕の上司」
「奴の様子はどうだ」
「いつも通り、用心深い奴です。カーテンは開きません。しかし、さっき電話を傍受したところ、今から風呂はいる、だそうです。そして、今日はおそらく、あの日です」
「オーケー」
「いよいよ、奴が死ぬんですね」
 俺はスイッチを切り替えた。
「ピンポンパンポン。マキシシングル、聞こえるか」
「聞こえます上司。今、佐川急便に扮してマンションに潜入しました。もう奴の部屋に行ってもよろしいですか」
「今から風呂はいる、とのことだ。行け」
「了解」
 俺はスイッチを切らずに、マキシシングルの足音を聞いている。奴はとても用心深い奴だった。奴が殺し屋でなければ、繊細すぎると後ろ指をさされ、悪口を言われたことだろう。長すぎるおしっこは危険だからと、一回五秒できざんで、何回も行った。ぼやぼやしてると撃たれちゃうから、という理由で、奴は街ではいつも全力疾走していた。俺達は撃てなかった。逆に、奴は全力疾走しながら撃ってきた。ぼやぼやしていた部下が次々とやられた。コードネーム・読書家……クロスワードパズル……なんか甘いパン買ってきて……輪ゴムがごっそり入ってる箱……今年こそリバーシブルジャケットを使いこなす……。全員、インド人と同じところを撃ち抜かれて即死だった。奴にはスキが無かった。しかし、一年間の調査により、奴は風呂が長いということがわかった。奴がもっともリラックスするのは、奴がもっともリラックマに似るとすれば、それは風呂の時間。風呂が長いところを狙う。しかし、それだけじゃ足りなかった。それが、今まで我々が作戦を決行できなかった理由だ。
「上司、奴の部屋に潜入しました」
「オーケー、風呂場へ向かえ。ここからは喋らなくていい」
 マキシシングルは足音をたてずに動いているらしい。さすが、訓練されているだけはある。訓練したからこんなに足音がしないし、衣擦れの音も無い。訓練していなかったらと思うとゾッとする。訓練してよかった。そういう先生を雇って本当によかった。訓練さえしていれば、鍵のかかった部屋の中へだって難なく入ることができる。
 高性能マイクが集めた換気扇の音がかすかに聞こえ始めた。これが聞こえるということは、風呂場は不気味なほど静かで、なおかつ換気扇を「強」にしているのだ。しかし、これは逆にチャンスだ。風呂に入っていて異常に静かならば、あの瞬間しかない。予定通りだ。それを察知し、マキシシングルが一気に音を立てて動いた。ドアを開く音がした。それだけだった。
「そうだ、そのままでいろ。動くな」しばらくして、マキシシングルの声が聞こえた。
「……」奴は喋らない。
「シャンプーを詰め替える瞬間を狙っていたぜ。風呂場で、裸でシャンプーを詰め替える瞬間をな」
 成功だ。ついに奴を追い詰めた。今も、シャンプーは容器の中へトロトロ滴り落ちているに違いない。奴が最も気を抜く瞬間だ。人間は、シャンプーを詰め替えている時が最も殺しやすい。もしくは、カップ麺の説明を読んでいる時。奴は今、凄く情けない背中をしているのだろう。
「もう死ぬんだ。何か言ったらどうだ」
「……」
「それ、TSUBAKIって、女の人が使うシャンプーじゃないの?」
「え?」
「まあいい、あばよ」
「これって女の人しか使っちゃいけないの?」
「お前が殺した俺達の仲間が、地獄で待ってるぜ」
「TSUBAKIって女の人しか――」
「あばよ」
「そんなことないよ! 使って大丈夫だよ!」
 サイレンサーを使っていてもわかる銃声がする前に、俺はそう叫んでいた。奴は死を避けてきたが、死を恐れてはいない。だからこそ、死の直前になっても、シャンプーのそういう細かいことが一番気になるんだ。だったら教えてあげればいい。それは人として、教えてあげればいいんだ。きっと世の中には、トニックシャンプーを使っている女だっているに違いない。