前の携帯に書いてあったの載せちゃう

 答えられることもあるし、答えられないこともある。答えられないことには、答えられない。答えられないとも言いたくない。畢竟、君を無視することになる。そしたら君は気分を害するだろう。だから、どうか黙っていて欲しい。


 僕は彼らを壁際に一列に並ばせたが、本当は僕の方が彼らに並ばされており、僕は一人で立っているためにそれに気付いていないのではないかという思いがしていた。
「俺達はトランプしてたんだ。ちょっと白熱したとこで、目が放せなかった。あんたも、あそこにいて手持ちのカードをどうするか思案してたら、同じように放っておいたかも知れない。まったく、誰のどの一手も勝ち負けに関わるような場面だった。とにかく、そっちの方が大事だったんだ」ヒゲの男が言った。
「そんなことはあるもんか。だってお前たちの仕事だぞ!」僕は怒鳴りつけたが、彼らは平気な顔をしていた。
「なら俺も保証しよう、確かにトランプをする方が大事だったんだ。そういうことはよくあるんだ」別の男が言った。
「あっても、それじゃ困るじゃないか」
「だから俺たちも困ってる。俺たちの嗜好が、こうやって誰かを怒らせる。うまくいかない」
「でもそうだな、俺たちはそれでもトランプに熱中してしまうだろうよ。そういうふうに出来ている。そして、それが、あんたなんかにはどうしてもわかってもらえないらしい。仕事中にトランプなんかには絶対熱中できんという方々にはな。我々がこんな身分にくすぶってるのもこうしたところに原因があるらしいが、でも、それでいいんだ。トランプもおちおち楽しめないような人生なんか御免だからな!」


 ある種の人々の見せる芸術への無関心という態度は賢明である。その美しさは、ケータイ小説を夢中で読む態度に現れる。ひきかえ、それに目くじらを立てる中層階級によって為される自らと芸術へのこじつけは、まったく妄信に過ぎない。文学全集を読もうと恋空を読もうと、彼らは本質的には全く同じことを考えるであろう。


 例えば、自分にとって悪いケースに賭ける場合、私は何を思っているのか。


 私が母に勉強するよう言われてしぶしぶ机に座ると、知らない男が一人、いつの間にか部屋の隅に立っている。こうしたことはたびたびあったが、私がそれを予見することは一度もなく、気づくと立っているのだった。私はそういう時はとにかく勉強し、男もただ立っていた。母が「休憩したら」(もうやめたら、とは決して言わなかった)と私の分の冷たい飲み物か何かを持って入ってくると、男は入れ違いに出て行った。母は体の向きを変えて男に道を作ってやりながらも、何も言わなかった。