「家に火ィつけるぞ」と兄は言った

「さあ、『解決!お助け家族 〜お前らほんっとどうしようもねえな〜』のお時間がやってまいりました。司会は私、高畑順がつとめさせていただきます。今日も悩める家族が、この家族更生最後の砦の門を叩きました。今日は、これは凄いですね、家庭は完全に崩壊しながら、物理的に建っているマイホームがなんとか家族という関係を外側から支えているような……シュークリームでいうと完全に中が腐りきっています。緑色です。そんなドロドロの、家族間で靴を隠しあう、緑沼さんのご家族です、四人家族です。どうぞ!」
 おどろおどろしい音楽と人間がゲロを吐くSEが流れる中、少し高いところにある、かなりデスメタルな仕上がりの扉が開かれ、赤い煙が吹き上がった。そこから、一人、父親らしき男性が出てきた。その顔、立ち居振る舞いは、一言で言うならば、卑屈な糞ハゲ。観覧の客は全員、こんな親父いやだ、と思った。
 父親が司会者のもとに降りてきたところで、音楽が止まった。
「あれ、お父さんだけですか? ご家族のみなさんは」
 父親は俯きながら、だるそうに小刻みに首を振った。マイクがなんとか、「知らない」という音声を拾った。「知りません」
 その時、二十代と思われる若そうな兄が扉に手をついて出てきた。その姿は、一言で言うならば、糞ニート。背は高いがもやしっ子全開、餓死寸前の馬のように痩せた体に上下スウェットを着ている。昼過ぎに起きたその体でテレビ局までやってきたらしい。汚れたメガネをちょいちょい触りながら、俯きがちにステージに下りてきた。父親の方を一度も見ず、司会者の後ろに背を向けて立ったが、司会者に何か言われると、司会者の横、父親と反対側に立って、斜め下を向いていた。観覧の客は、家族で靴を隠しあう場合、家から出ないこいつが有利なのではないか、と思った。
 すると、今度は母親らしき女性が扉から顔を出した。そして、ゆっくりと姿を現した。一言で言うならば、近所でも評判の糞ババア。大きな体つきに汚いTシャツを着て、ピンク色のハンドバッグをさげ、歯茎を指でいじりながら、観覧客をじろじろ見ながら降りてきた。そして、父親の隣に、やや距離を取って立った。が、顔は合わせなかった。母親は大きな腹をかきながら、大きくしつこく咳払いした。
 その音が響き渡ると同時に、扉からではなく、テレビカメラなどがある方から、制服を着た女子高生の妹が油揚げみたいになった髪の毛をいじりながらだるそうに歩いてきていた。その姿は一言で言うならば、糞ヤマンバブス。白く目が縁取られ、肌は茨城にただ一つある日焼けサロンから産地直送、真っ黒だ。その妹は、かなり離れたところの床に座り込んだが、関係者に指示されて立ち上がると、歩いていって司会者の前に座り込んだ。
司会者は何か言いそうにそれを見下ろしたが、何も言わず、前を向いた。
「はい、緑沼さんの御一家です。崩壊しています、かなり崩壊していますね。今日は、この御一家に、うるおいのある会話を取り戻そうということで、あるテーマで会議をしてもらいます。別に家族のことではなく、他愛も無いテーマです。そうした普通の会話が、家族の潤滑油となるのですね。それこそ、この家族が忘れてしまったことかも知れません。では、みなさん、お座りください」
 円卓いっぱいに離れて家族がガタガタ椅子を鳴らしながら座る時、それぞれがたてる音にむかついて、四人の家族はチラチラ顔を上げて舌打ちした。
「では、テーマを発表します。あちらのボードをご覧下さい」
 司会者が指さすと、観覧客は一斉にそちらを向いたが、緑沼家族はテーブルを見つめて耳の裏をかいたり、メガネをとって床に置いてため息をついたり、またいつまでも咳払いしたり、操作音をオフにしていない携帯をいじったり、家庭崩壊どころか人間として常識が無かった。ピッピピッピいっていた。
「テーマはこちら!」
 それでも司会者は言うと、ボードの中の四角い枠がADの仕事によってひっくり返った。いいともシステムである。そこへいっぱいいっぱいに書かれたテーマが、司会者によって読み上げられた。
「勉強しかとりえの無いデブをなんと呼ぶか!」
 観覧客から拍手が起こった。2〜5のそれぞれのカメラは、緑沼一家のそれぞれを映し出していたが、死んだ目をしていない奴が一人もいなかった。
「これはいいテーマです。おもしろいですね。確かにこれは難しい。ガリ勉を使えませんからね。これは一体どうすればいいのか。みなさん、どんな呼び方を考えてくれるのでしょうか、非常に楽しみであります。では、家族会議を始めます」
 司会者はいとうせいこうのような感じで喋りたてると、いとうせいこうのような感じでホテルのフロントに置いてあるベルをチーンと鳴らした。まさに虎の門システムである。
 案の定、誰も話し始めないので、司会者が喋り始めた。
「じゃあ、まず、お兄さんどう思いますか。勉強ばっかりしてるデブをなんと呼びましょうか」
 兄は、メガネ越しにちらりと司会者に目をやったが、すぐに逸らすと、スウェットの袖をしきりに引っ張って、なにやらブツブツ言ったが、聞き取れなかった。
「なんと呼びましょう」
「別に……普通……」
 すると、他の家族が一斉に、かなり怒った顔つきになって兄を見た。半殺しへのカウントダウンが今にも始まったような視線が、息子を突き刺した。
「じゃあ、じゃあ妹さんはどう思われますか」
 父親と母親が首だけ回転させて妹の方を見た。
「あの……あたし的には……伊集院みたいな、そーいう系」
「は? おもしろくねーんだよ」
 兄が下を向いたまま小さな声で言った。
「あ?」
 娘が口を開けて兄の方を向いた。兄は姿勢を変えず、下を向いていた。
「止しましょうよ、止しましょう、ねっ? 伊集院という案が出ました。確かに、勉強の出来るデブといえば伊集院ですね。いいと思います、いいと思いますよ。お父さん、今の意見は…いや、お父さんは新しい意見はありますか?」
「私は、家で考えてきました」
 父親は手を軽くあげながら言い、それからズボンのポケットをまさぐり始めた。
「ハゲがはりきりやがって。必死か」
 はっきり聞こえる声で母親が言った。父親はそれでもポケットから紙を出そうと体を斜めにしていたが、「はい何か言ってる奴がいます、はい何か言ってる奴がいます」と小声で呟いていた。
 それから、なかなか紙が出てこず、母親も息子も娘も、舌打ちを連発しながらその様子を、歯をむき出しにして見ていた。やがて、紙が出てきた。
「えー、私が考えてきたのは、まず、肉スマート」
 母親が大きく咳払いし、携帯の音もにぎやかに鳴り始めた。
「それから、まだまだありますよ。ボンレス博士。肉勉。解けるデブ。皮下脂肪医者志望。そして……メタボリック特待生。ざっとこんな感じです」
 観覧客から、拍手が起こった。
兄は眼を剥いた凄い形相の顔を小刻みに震わせて早口に口を動かしていたが、高性能マイクを通しても何一つ聞こえなかった。母親は「死ねっ、死ねっ、ハゲッ」と吐き捨てるように言い、妹は髪の毛をかきむしった。
「えー、お父さんは凄いアイディアマンですね。様々な案を出してくれました。解けるデブ、というのは、動けるデブを踏まえているんですよね」
「ええ……まあざっとこんな感じです」
 父親が腕を組んで背もたれに寄りかかる形で胸を張ると、家族が口々に言い始めた。
「調子乗ってんじゃねえよ、収入の少ないオナラ窓際族がうかれやがって。秋の夜長のうかれ屁こき虫はケツの崎アナル原発で自ら中から被爆してろクソッパゲが……!」
「逆トロピカル靴下が……三足千円、糞してまんねんって、何言ってんだてめえは。ダマリン塗って大人しく寝てろ。パンにダマリン塗ってムシャムシャ食ってろよ、水虫界最後の大物が。ござで寝ろ、寝苦しめ、有給使ってござで寝苦しめ」
「日本のウンコハゲ親父百選が。何がウンコハゲ親父百選に選ばれましただよ。屁で吹き飛ぶようなバーコードしやがってぶっ殺すぞ……育毛剤の容器で殴り殺す……家に……家に火ィつけるぞ……」
「火って……あなたの家でもあるんですよ!?」
 思わず司会者が言ったが、最後の発言をした兄はテーブルの縁に額をつけており、目を合わせなかった。
「あっ、お父さん落ち着いてください。落ち着いてくださいね。テレビの収録中ですから」
父親は目を血走らせ、歯を食いしばって、どこか泣きそうな顔でふしゅーふしゅー言いながら凄いスピードで順番に家族を見ていたが、司会者の言葉と現場の無言の圧力に、なんとか自分の腿を何度も殴りつけることで耐えた。
「えー、さて、色々とお父さんが出してくれたんですが、お母さんは、何かいい案ありますかね」
「あ、私? やだ。私はねぇ、そうねぇ」
 母親は少し上を向いて、考え始めたが、そのそばから、まず父親から口々に言い始めた。
「何かわい子ぶってんだメスブタが……そもそもお前がデブじゃねえか、教養はゼロの……。更年期障害爆裂トン汁汗っかきババアがブーブー何言ったところで誰も聞いてねえんだよ……」
「この黄ばみシュミーズ気にせずダンスパーティーが……恥知らずは仮面パーティーであぶれて朝までうろうろしてカーテンの裏で残飯まみれでブヒーの断末魔をあげて死ねっつうんだよ……地獄のウォークインクローゼットで一人で踊ってろ……」
「手荒れ家事サイボーグあらゆることに口出しタイプが……お前の料理は全部そっ……………………家に火ィつけるぞ」
「お兄さん、今、噛みましたよね。それで諦めましたよね」
 司会者も主導権を取り返そうと兄を指さしたが、兄は爪でテーブルを叩きながら、下を向いて、「死ねクソババア、クソババア」と繰り返すだけだった。
「何噛んでんの、ダサッ。このニート、ダサッ」
 妹が、兄に向かって嘲笑するように言った。すると、家族が口々に兄に向かって言った。
「引きこもりガリガリくんニート味が。お前もてないだろ。女コナーズだろ。俺が出歩くと女寄ってコナーズって馬鹿かお前は。やかましいんだよ引きこもり完全体が。引きこもりとしてスキが無いんだよお前は。スキあれよちょっとは」
「この、くされネット弁慶エロ動画大好きクリスピーが。動画ファイルナビゲーターヘビーユーザーの清水國明ですって、何言ってんだお前は。頭バグってんだろ。脳のスキャン失敗の積み重ねでもう24歳ですってちっとは反省しろ役立たずニートン先生が」
「お前のあとの風呂は陰毛浮きすぎ記念公園なんだよ。大人になろうとするペンギンの子供かお前は。お前はなんだ、バスタブでなんだ、チン毛で和紙でも作る気か。考えられねえよ。もやしが。糞やせ玄太48キロが。ニートやってますじゃねえよバカ。2ちゃんで気取りやがって」
 兄は手の甲をばりばり掻いて、上下に揺れ始めた。ところが、突然止まった。そして、冷徹な目でゆっくりと家族を見回すと、ポケットに手を入れた。
「キャーーーー!」
 その雰囲気が尋常ではなかったので、観覧の客が何人か叫び声をあげた。まさか、噂のダガーナイフが飛び出てくるのではないか。
 しかし、出てきたのはマッチ箱だった。
「家に火ィつけてやるよ」
 兄はマッチ箱を少し開けて中を確認すると、突然走り出した。左手で携帯電話を取り出し、2ちゃんねるに犯行予告をするのも忘れない。
 自分達の方に向かってくると勘違いした観覧の客は身じろぎながらまた「キャー!」と叫んだが、兄はそれには目もくれず、スタジオの外へと走り出て行った。というか、人と目を合わせられないのだ。
 家族もまた、「あいつ…ぶっ殺す」と呟きながら立ち上がり、スタジオを飛び出していった。
「おい、糞キャメラマン! あいつらを、ヘリを使って追え! こいつぁいい画が撮れるぞ! 3時間スペシャルだ!」
 それから、プロデューサーは大きな声で全員に指示を出した。もしかしたら、家に火ィつける瞬間が撮れるかも知れない。プロデューサーの胸は出世と視聴率のキラメキに包まれた。
 しかしプロデューサーは、自分もスタジオを飛び出した時、兄がエレベーターを待つところの空間で床にはいつくばり、家族がそれを取り囲んでいるのを見た。いち早く駆けつけたカメラマンがその様子を撮影していた。プロデューサーは、まあこれでもいいかと思ったが、これでは他局の「全国うまいラーメン屋スペシャル」に勝てないと考えたらなんかむかついてきて、とりあえず家族全員のケツを順番に思いっきり蹴った。全員、恨めしそうに振り返ったが、何も言わないで、むしろちょっと謝るように頭を下げて笑った。プロデューサーは、こいつらホント気持ちわりいな、と思った。