ゆくゆくはめちゃイケのスタッフ

 私はテレビの現場で働いています。生き馬の目を抜くようなこの現場は、非常に怖いところです。一瞬の油断が命取り、少しでもボケッとした瞬間、私の後頭部でキムタクの顔が半分以上見えなくなることになるのです。そうなれば、私は一生ウンコたれAD、安月給のダンスフロアで踊り続けるはめになるのです。
 今日も今日とて、私はドラマ制作現場であれやこれやする係りをおおせつかっていましたが、一つ問題が起こりました。
「ブサイクな女将を転がし殺したのは――ちょ、ちょっと、黄色っ」突然、元不良のイケメンタレント、キシリトール諸星さんが演技を中断しました。
「カーット!」現場監督さんがでかい声で叫びました。そして、カメラを離れて演者の方にやって来ました。
「監督、桑原さんの歯、黄色すぎるでしょ。俺まじでバナナかと思った」
「そんなに黄色くないでしょ、大丈夫でしょ」俳優一筋30年の桑原さんが口元に手をあてて言いました。
 現場監督が桑原さんの歯を覗き込もうとしましたが、桑原さんは手をどけず、口を閉じていました。
「見せてくださいよ」
「大丈夫でしょ。そんなにバナナみたいに歯が黄色くはならないでしょ。ねえ?」桑原さんは近くにいた私に向かって口を閉じたまま笑いかけました。
 続けて、キシリトール諸星さんと現場監督さんが私を見ました。私は、どちらの味方をすればよりこの業界で出世していけるのか、どちらの立場を取ればゆくゆくはめちゃイケのスタッフになれるのか一瞬のうちに考え、ソロバンに青春を捧げた子供達のスピードで答えをはじき出しました。
「いいから口を開けろよ、歯糞俳優。劇団出身のはしくれが」気付くと、私は桑原さんに向かって喧嘩腰の口をきいていました。「顔のほくろデラックス弁当め」
 桑原さんは一瞬、怒ったような顔になりましたが、口を開けられないので、マックス怒ることは出来ないようでした。口を開けずに怒ることは、まさに二階から目薬、27時間テレビの司会にヒロミ、森繁久彌の懸賞生活なのです。まるでGLAYのレギュラー番組です。
 現場監督は驚いたような顔で私を見ましたが、何も言わずに台本を丸めなおしました。
「歯糞だから黄色いってことはないでしょ。それとこれとは違う問題じゃないの。ステインとか聞いたことあるよ。最近はちゃんと歯磨きしてるし。だって歯医者で注意されたし。あと、ほくろは今、関係ないでしょ」桑原さんはいっこく堂のマネをする人のように口をモゴモゴさせて喋りました。
「お前の歯が黄色いうちは撮影がうまくいかないんだよ」私は詰め寄りました。
「ていうか歯ってもともと黄色いんじゃないの? ちょっとは」
「桑原さん、マジいいから一回見せてくださいよ。俺はあの黄色がもっかい見たいだけなんすよ。絵の具みたいでしたよ」
「そんなことないでしょ。絵の具みたいな黄色は、人間の歯からは出ないでしょ」
「出てたんすよ。俺この目で見たんすよ」
「出てないよ」
「出てねえなら見せろ、しょんべん歯!」私はなんだかむかついてきていたので、桑原の上唇をつかんでめくりあげました。
 それは、とても黄色かったのでした。一瞬、熱帯魚を飼っているのかと思いました。私も、それまでかなりひどいことを言っていたのですが、その黄色さには思わず感心してしまいました。言わば、泥団子を異常な執念でキレイに磨き上げる奇跡を歯のパターンで目の当たりにしたのです。
 監督もその突き抜けた黄色っぷりには心を打たれたらしく、脚本が大幅に書き換えられました。めくりあげた上下の唇をテープでとめた殺人鬼の桑原さんがブサイクな女将を坂になっている国道で転がして転がしきって殺す場面は、ショッキングイエローのカットが印象的に挟み込まれてかなり猟奇的でサイコでした。が、視聴者からの「歯を磨け」という電話は、後日、桑原さんが「ごきげんよう」のオープニングで電動ハブラシを買った話をするまで鳴り止まなかったといいます。