勝つために飲ますコーラ

 ノリコちゃんを巡って、ついに、ハルヒコとイチロウが激突する。放課後の視聴覚室は、小学生しかいないにも関わらず異様な雰囲気に包まれていた。視聴覚室がこんなにも異様な雰囲気に包まれたのは、地元のけん玉名人がやって来て失敗を繰り返して以来。
「この勝負に勝ったほうが、ノリコちゃんを彼女に出来る。それでいいね」学級委員長の永尾が、ハルヒコとイチロウの間に立って言った。「勝負は、コーラ早飲ませあい対決。コーラを早く飲ませた方の勝ちだ」
 ギャラリーとして参加しているクラスメイト達は、異議なし、異議なしといった様子で一丁前に腕を組み、うなずいた。
 永尾は今度はギャラリーの方に向かって言うように、続けた。「あらかじめ、二人には水道水を1リットル飲ませてある。1.5リットルのコーラなんて、小学生なら飲んじゃうから。飲んじゃうだろ」
 ああ、飲んじゃう。俺達は飲んじゃう。腕を組んだ小学生達はまたうなずいた。
「じゃあ、早速始めようか。ノリコちゃん、始めるよ」
 ノリコちゃんが永尾を見て震えるようにしてなんとかうなずいた。可憐な少女、ノリコちゃんは机の上に座り、腕を後ろで縛られて、猿ぐつわをされていた。しかし、これはノリコちゃんサイドからそうした方がいいのではないか、そうしたらぐっと気分が出るのではないか、という提案があったからやっているので、何も心配することはない。悪い女だ。
「コーラ早飲ませあい対決、開始!」
 永尾が掛け声をあげて少し離れると、林と野村が同時にコーラを天に傾け、飲み始めた。
「林、いけ、いけ、飲め! 一気、一気!」ハルヒコが林のすぐ横で手を叩きながらがなり声をあげる。
「野村、落ち着いて飲めばいいよ。落ち着けよ。落ち着いて飲んでいこう」イチロウは冷静に野村の耳元に声をかけた。
 見ている方の小学生達は、お互いのファイトスタイルについて、こう分析した。
ハルヒコは、言うならば動。林のケツを叩き、追い立てることでコーラを飲ませるスタイルだ。それは、『いいから飲め』という一つのメッセージ。まるでお父さんだ」「対して、イチロウは静のコーラ飲ませ。なだめてなだめて野村にコーラを飲ませていく気だ。それは、『無理はしなくていいのよ、でも飲んじゃいなさい』という、ある種のお母さんのようなスタイル」「まさに対照的な戦い。こいつはおもしろくなるぞ」
 その時!
 バホッシャ!ブッシュウウウゥゥ。
 突然、林がコーラを噴き上げた。
「きたねえ!」ギャラリーが一斉に声をあげる。
ハルヒコ・林ペア。コーラブシュウ! 3秒!」永尾が指を三本振り上げた。
 コーラをブシュウさせてしまった場合、そのこぼれた量に応じてクラスで一番算数の出来る永尾が秒数を決定し、その分、待たなければいけないのだ。しかし、ブシュウさせた時はきついので、三秒で戻れるはずもなく、これは特にいらないルールだが、こういう細かいルールがあると小学生は燃える。
「コーラブシュウだ! ハルヒコの無理やりコーラを飲ませるスタイルがアダとなった!」「比べて、見ろ。イチロウがコーラを飲ませている野村を」「なんて平然とした顔、まるで、お父さんに飲んでみろと薦められたワインを気取って飲んでいるかのようだぜ!」
 確かに、優しく肩を叩き声をかけるイチロウの前でコーラを傾けている野村は、非常に余裕があった。
 しかし!
「いや、待て!」「どうした?」「野村のコーラ、全然減ってねぇ!」「あっ!」
 野村のコーラは、まだ全然、小学生からすると、まだまだコーラが沢山あって嬉しいな、という状態だった。
「イチロウは、野村を甘やかしすぎたんだ!」「既に1リットル水道水を飲ませられている野村が、落ち着いて飲め、なんて優しく言われたところでコーラをがぶ飲みするはずねえ!」「ちゃんと飲んだのはおいしく感じた最初のひと口だけ。あとは、野村は、ただ飲みくちに口をあてているだけだ! しかも、時々空気をブクブクさせて飲む振りまで!」「飼い犬に手を噛まれやがってイチロウ、しくじったな!」
 その時、ノリコちゃんが何か言いたそうに、猿ぐつわの下でウーウーと唸り、もがくように体をくねらせた。しかし、これは別に何か言いたいわけではなく、盛り上がってきたのでここは私も一つ、という腹でやっているのだ。小学生の皮をかぶった女狐め!
 イチロウも野村がぬるま湯につかったようにコーラを飲んでいるのに気付き、習っている空手の型を思い出しながら、背中を一発殴った。
「セイヤッ!」
 ブリュッシュウウウ!バボバシュゥゥ。
 飲む振りをしながらコーラを口に含んで休んでいた野村はその衝撃でコーラを噴き上げた。
「きたねえ!」とギャラリー。
「イチロウ・野村ペア、コーラブシュウ! 6秒」
 6秒と聞いて、ギャラリーが沸いた。
「ここにきて6秒!」「しかし、今のをやらなければ、野村はいつまでも甘えたまま、まるで晩酌のようにちびちびコーラを飲んでいたことだろう」「今の場面は、6秒のロスを承知で、野村の腐った性根をたたき直さなければいけなかったんだ!」「やるぜイチロウ!」
 しかし、その間にも、ハルヒコがコーラを飲ませている林は、無理してがぶ飲みしていた。
「早く飲めって、おい林! 急げよ、ほらほらじゃんじゃん胃に詰め込めって! お前コーラ大好きだろ! 飲み干せよバカヤロウ!」ハルヒコが林の耳元で怒鳴る。
 グベラッシュボ!ババブゥゥッシュウゥ。
 林も派手に噴き上げた。天井までコーラの飛沫がついた。
「きたねっ」ギャラリーが小声でつぶやく。いくら高く噴き上がろうと、そもそも噴き上げ自体に少し飽きていた。
「まったく使えねえな林は!」ハルヒコが天を仰いだ。
「ふふっ、ハルヒコ・林、コーラブシュウ! 7秒!」永尾が宣告する。
「7秒だ!」「今までで最大のロス!」「それはともかく、永尾の奴、今ふふって笑ったぞ!」「あいつ、顔が少しおかしい!」
 永尾のメガネの下の目は、血走っていた。そして、不気味に笑いながら、あごの辺りを指でかきむしっていた。
「うふふっ、ひっ、腹がふくらんできた、パンパンにふくらんできたぜぇ〜」
 林と野村はなぜか上半身裸の状態でコーラを飲ませられていたが、なるほどすでに腹がふくらんできていた。そりゃそうだ。今、あそこには、今日の給食、1リットルの水道水、コーラが詰まっているのだ。
「っひぇ。もっとだ、もっと苦しむんだ。ふふっ、うふふふひっ」
「おい永尾、しっかりしろ!」「審判だろ!」「さてはお前、この対決を提案したのはただ単に見たかったからだな!」「お前のゆがんだ欲望を、満たすためだったんだな!」「そのために、家が貧乏な林と野村を利用したんだろ!」「貧乏人のコーラへの憧れを弄びやがって!」
「ふふふっ、わからないな。僕は審判をしているだけさ。でも、こぼしにこぼして、あんなに腹をふくらませて、それでも飲もうと……ひひっ、愉快になってきたっふふっ、うふふふふふ!」
 しかし、これはこれでおもしろいので「チクショウ、なんて奴だ!」「うふふふふをそんなに強く発音するなんて、あいつは狂ってる!」「永尾、お前は悪魔だ!」「度の強いメガネをかけた悪魔だ!」と言いながらも誰も止めなかった。ノリコちゃんも、腕を後ろに縛られたままあぐらをかいて戦況を見つめていた。目が笑っていた。まったくこいつの親の顔が見てみたい。ヤンママだろどうせ!
 その間に、野村はイチロウの教育によって改心し、コーラをがぶがぶ親の仇のように飲み始め、ハルヒコサイドに凄い勢いで迫ろうとしていた。
「すげえぞ、あんなにもすげえ勢いは見たことがねえ!」「人間は、あんなにもコーラを流し込めるものなのか!」「クリスマスパーティーの時の俺だって、あんなにもは無理だ!」「あんなにも野村……渡辺正行か!」
 その時。
「君達、学校でコーラなんか飲んでいいと思ってるのか!!」永尾が窓ガラスを震わせるような大声で叫んだ。
 コーラを飲んでいた林と野村、飲ませていたハルヒコとイチロウ、そしてギャラリーは全ての動きを止めて永尾を見つめた。気付けば、永尾はいつにない真面目な顔に戻っており、握ったこぶしを腿にぴったりとつけ、怒ったように前傾姿勢で立っていた。
「学校にコーラ持ってきて、こんなことして、ただじゃすまないぞ!」
 何か様子がおかしいと思ったみんなは、いやな予感がして入り口のドアを振り向いた。そこには、担任の小林先生が虚ろな顔をして立っていた。あれは、みんなよーく知っている、キレる前の小林先生の顔。みんなで陰で「ウンコバ」とケンドー・コバヤシみたいに呼んでいたのがバレた時に見せた顔。
 その時、いつの間にか寝転がっていたノリコちゃんが、派手に唸りながらもがき始め、更には涙を流し始めた。この大女優め、最後の最後までいやな女だったな。