初ボウリング

 自分史上初めてボウリングにきたカズオミは、パニック状態に陥っていた。今やカズオミは、二歳児ほどの判断力でボールを選んでいた。
 嘘だ。なんだこの番号は。何の番号だこれは。あっ、みんな、待って待って。みんな早いよ。球を決めるのがなんて早いんだ。きりさきピエロかよ! ヨウコちゃん、今、「あたしは7って決まってるの」と言ったな。決まっているのか。あらかじめ決められているのか。そうだ、そうじゃなきゃ、みんなあんなに早く選べるはずが無いよ。どういうことだ。俺は何番に決まっているんだ。もしかして、7歳で初めてボウリングをやったってことか? いや、番号は16までしかないぞ! 俺は19歳だもの。適当かな? さては適当でいいのかな? ヒロトは何番なんだ。あの色、何番だ、これか。11番か。確かヒロトは高校のサッカー部で11番を背負っていたと言っていたな。そういうことかな。いや、そしたら帰宅部の俺は何番を背負っていたんだよ!
 結局、カズオミはボールの前でウロウロしながらそのプレッシャーに耐え切れず、ボールを選ぶ前に飲み物を買うことにした。自販機の前に立ち、飲み物を選びながら、後ろをチラチラ見て球も選んでいた。
 11番にしておこうかな。俺もヒロトと一緒にしておけば、もし間違ってても、あえてヒロトと一緒にしてみました、みたいな雰囲気になるかな。そういうものなのかな。まったく本当に大変だよ、ボウリングは大変だ。まず、ちっちゃいゲーセンがあることと、靴を借りさせられることのダブルパンチで度肝を抜かれたからな。あそこで、動悸がして、口が渇いて、持っていたミネラルウォーターを全部飲み干しちゃったからな。え? ……ジュースが高いよ! ちっちゃい紙コップが150円って、500のペットボトルかよ! 電車乗れるよ! なんて高いんだ。こんなに飲み物が高いのは、お父さんについていったゴルフ練習場以来だ。あっ、あと映画館あと映画館!
「カズオミ、早くしろよー!」
 カズオミは振り返ると、笑ったんだか馬鹿にしたんだかコイツのせいだよと言わんばかりの変な顔で自動販売機を指さした。そして、大急ぎで飲み物を選んだ。
 よし、コーラだ。俺はコーラが大好き。高いけどそれはまあよし。あとは球、球を選ぶんだ。いいや、もう11番でいい。もううんざりだ。
 カズオミはコーラを持ち、沢山の11番の前に立つと、三つ空いている穴の大きさがそれぞれ違うことに気付いた。
 嘘だろ。俺にもう考えている暇はないっていうのに。男は度胸、もうなんでもいい、変に迷うとあれだから、穴が見えてない奴を選んで持っていこう。
 カズオミは棚の上の球を抱えようとしたが、あまりの重さに凍りついた。
 なんだ、この重さは。何が入ってるんだ。メディシンボールに迫る重さじゃねえか。大変だ。鉄か。鉄を入れているのか。いや、この球だけ、なんかの手違いで鉄が入っていたのかも。隣は、隣のはどうだ。これも鉄入りか。鉄入りじゃない奴はないのか。これは。これも鉄入り。じゃあ、全部鉄入りなんだ。いや、鉄製なんだ。プラスチック製のはないのか。店員に訊くか。いや。12番……これはどうだ。やっぱり鉄製だ。鉄製なんだ。全部、鉄製なんだ。じゃあ、11番でいいよ。ヒロトと一緒のでいい。
「カズオミー! 早くー!」
「お、お、おう!」
 カズオミは大慌てで適当に11番の球をわきに抱えると、みんなのところまで戻った。
「やっぱ11だよなー」ヒロトが言った。
「お、お、おう!」
 やった。ざまあみろ。やっぱり11だった。11でいいんだ。一山乗り越えた。いいぞ、このまま装うんだ。プロボウラーを装うんだ!
「ずいぶん選んでたね」と早川さん。
「やっぱりプロはボール選びも一筋縄じゃいかないんだ」とヨウコちゃん。
「ま、ま、まあね」
「やっぱりマイボールの方がいいでしょ。でも、急だったもんね」
「そりゃ、飲み会にマイボール持って来る奴はいないよ!」ヒロトがでかい声を出した。
 みんな、酒も入っているのでゲラゲラ笑った。カズオミも合わせて笑いながら、コーラをひと口飲んだ。
 マイボール……どこかで聞いたことがあるぞ。オー、マイボール。……仕置きの手段さ、オー、マイボォール。エキセントリック少年ボウイ、エキセントリック少年ボウイのテーマだ! 速すぎるエキセントリック号の先っぽから、そうだ、これみたいな、ボウリングの球がごろんと出ていたじゃないか。そういうことだったのか。マイボールとはつまり、MY・ボール。自分のボール。これで完全にわかった。全てのピースが揃った。プロは自分用のボールを持っているんだ! ありがとう、浜ちゃん、ありがとう!
「腕になんかつけるやつも普段ははめてるんでしょ?」
 カズオミは、憧れの早川さんの言うことだが、こればっかりはわけがわからないので無視した。
「ちょっと、無視なのぉ?」
「は、はめてるよ」さすがに悪いので、カズオミは言った。「左腕に」
「あれ? カズオミくんって左利きだったっけ?」
 カズオミはなんとなく眠そうな顔を見せた。
 もう、なんか、何話してるんだよ。腕とかはめるとかはめないとか。とりあえず腕時計のことじゃないらしいな。そういえば、腕時計はみんなしてるもんな。じゃあ、いったいぜんたい何をつけるんだよ。もうわけわかんない、もうわけわかんないよ。
「う、う、嘘嘘、あの……両腕につけてるよ」
「両腕につけんの?」
「う、う、うん。片方だけだと、バランスが崩れるから」
「なるほどー」
「すげえなー」
「さすがプロ」
 なんとか、昨日野球の解説で誰かおじさんが言っていたことをそのまま言ったら話が終わったので、カズオミはホッと息をついた。
「じゃ、始めますか! まずはプロから」
 拍手が起こった。何やらテレビみたいなものがあって画面を見ると、一番上がカズオミだった。『カズオミさん、投げてください』と表示されている。カズオミはボールとコーラを持ったまま、「どうぞどうぞ」とヒロトが腕で示す方向へ歩いていった。カズオミの緊張は今、ピークに達した。
「カズオミくん、飲み物!」
「違うよ、プロはああやって投げるんだよ!」
 笑い声が、カズオミの背中越しに聞こえた。
 そうか、プロはこうやって投げるのか。危なかった。うっかり置いてたら偉いこと……。ていうか何より、あそこで飲み物を買っておいてよかった。全てがうまくいっている。だって、もうプロボウラーと嘘をついてから四時間ほど経っているのに、俺はまだプロボウラーでいる。ところで、仕置きの手段にボウリングのマイボールを使うなんて、なんておもしろいんだ。
 カズオミは左手にコーラを持ち、右の小脇にボウリングの球を抱え、レーンの前に立った。
 ピンを倒すのは、俺でも知っている。それぐらい知ってるよ。でも、この状態でどうやってピンを倒すんだ。こっからどうすれば小脇に抱えた球がピンにぶつかるんだ。不可能じゃないか。プロはコーラを持つということは、プロのやり方だと、球だけじゃなくコーラも使うらしいし。いったい、いったいどうすれば……。
 カズオミはボールを見下ろした。
 穴だ! そうか、この穴、この穴は。
 カズオミはボールを床におろし、穴を上に向けた。
 ここにコーラを入れるんだ。コーラを使うとするならば、ここしか考えられない。あそこの球置き場にあるタオルは、この際にこぼれるコーラを拭くためのもの。今、俺には全てがわかった気がする。
 数分後、穴にコーラが入ったボールとコーラまみれのタオルをレーンの前にほったらかしにして、空気が出るところにコーラを垂らそうとしたカズオミを、店員が取り押さえた。