最近サイフ落とした人たち大集合

 二時五十分、最近サイフ落とした人たちの方は、江戸川の河川敷に集まっていた。メガネ、ハゲ、スーツ、ジャージ、小学生もいる。みな一様に険しい顔をして、風に吹かれている。銀行の口座は止めている。
 やがて三時になると、一台のタクシーが、堤防の上に見えた。タクシーは舗装された道路を下ってやって来ると、最近サイフ落とした人たちの前で止まった。ドアが開き、お相撲さんがタクシーを揺らしながら出てきた。
 この関取こそ、最近サイフ拾った関取である。
 最近サイフ落とした人たちは、そのふてぶてしい姿を目にすると、黙っていられなくなった。
「最近サイフを拾ったからってタクシーか」
「俺たちへのあてつけだな!」
「ちゃんとシートベルト――」
 その時、タクシーのドアが強く閉まって、砂煙をあげて走り出した。全員静かになり、タクシーが見えなくなるまでそっちを向いていた。台詞を中断された人は、中断されたおかげでその台詞を言うのが恥ずかしくなってしまった。みんなも、それを感じて黙っていた。
 関取は一言も喋らず、腕時計をチラチラと見た。
「拾ったサイフに入ってた金で買ったんだな」
「交番に届けもしないで、なんて奴だ」
「困っている人がいるんだぞ!」
 関取は、なおも黙って腕時計を見ていた。
「くっ……そんなに時間が気になるなら、早速やろうじゃないか」
ネコババした金で買った時計なんか、ぶっ壊してやる!」
 最近サイフ拾った関取は、腕時計を見るのを止めて浴衣を脱ぎ捨てると、はっけよい、のポーズになった。これが噂のはっけよい……凄い迫力だ。最近サイフを拾ったせいか、関取の姿には、俺はサイフを拾って今ノリにノっているんだ、という自信が満ち満ちていた。逆に、最近サイフを落として、あーもう、あーもう、という気分になっている人たちはたじろいだ。顔を見合わせながら、視線を外し合った。
「誰もいかないなら、俺が」体育会系と思しき、スーツ越しにもガタイの良さが際立つ最近サイフを落としたサラリーマンがようやく手を上げて前に出た。
「携帯を」最近サイフを落としたメガネのサラリーマンが声をかけた。「ほかに何か預かる物があれば」
「大丈夫だ、負けるつもりはこれっぽっちもない。どっかそのへんに落としたサイフのためにも、俺に敗北は許されない」
 最近サイフを落とした人たちはみな、その台詞に感動した。人間は、最近サイフを落としておきながら、人前でこんなにも気丈に振舞えるものなのか。俺にはとても真似できない。きっとこの人ならやってくれる。誰もがそう思いながら、そのたくましい後姿を見送った。
 最近サイフを拾った関取と最近サイフを落としたガタイの良いサラリーマンが向かい合った。
「俺の、カードの再発行とかめんどくせ、という気持ち、思い知れ!」サラリーマンが叫びながら飛び込んだ。ダブルのスーツがはためく。
 関取は、立ち上がっただけだった。
「うおおお、五万円も入ってたのに!」サラリーマンは叫びながら、関取にぶつかった。
 関取はびくともしない。
「うおおおおお! 宝くじの300円当たったやつも入ってたんだぞくっそぉおーー!」
 関取はびくともしない。
「もっと、もっと怒りをぶつけるんだ!」最近サイフ落とした人たちの中からアドバイスが飛んだ。「まだ足りないぞ!」
「えっと、えっと……」組み付いたサラリーマンは必死で押しながら、考えた。
 関取が、手をサラリーマンの肩にかけた。
「えっと、えっと、定期は無事だったぜぇええーーー!」
 その時、相撲取りが腰を据え、はいどすこい、という感じでサラリーマンを空中に投げ飛ばした。ガタイの良いサラリーマンは大きく弧を描いて、江戸川にバッシャンと落ちた。慌てて岸にあがると、そこにうずくまった。
「定期が無事だったという安堵のために、もう一歩押し切れなかったんだ」最近サイフを落とした別のサラリーマンが、汗をぬぐいもせずにわかったようなことを言った。
 最近サイフを落とした人たちに不安がつのった。このの中では一番強そうだったあの男でも、まったく歯が立たなかった。それにしても、かわいそうに、あの男。だから携帯を預かるって言ったのに、言わんこっちゃないよ。サイフも携帯も無くなって、スーツもダメにして、定期入れだけでどうやって生きていくつもりだ。定期だって、あんなに濡れてしまってちゃんと反応するのか。
 それから、最近サイフを拾った関取の圧倒的強さに意気をそがれながらも、最近サイフ落とした人たちは次々と最近サイフを拾った関取にぶつかっていった。
「ちきしょう、ちきしょう、サイフ自体……新しかったんだ!!」はいどすこい。
「絶対会社で落としてるのに、それでも返ってこないんだぁーーー!」はいどすこい。
「耳鼻科のカードこの前なくして作り直してもらったばっかりなのにまた作ってもらわなきゃいけないよ、絶対だらしない男だと思われるよ、でも鼻はつまるし、もう最悪だよ、うおおおおお! どうして俺は鼻がつまるんだ!」はいどすこい。
 あれよあれよという間に最近サイフを落とした人たちは江戸川に放り込まれ、残り一人となった。預けられた携帯や定期入れ、メガネは誰も持つものがいなくなり、地面にむなしく積み上げられた。
 最後の一人は、最近サイフというか500円落とした小学生。小学生は、裸足になると、最近サイフを拾った関取の前に立った。
 しかし、最近サイフを落とした他の人たちは、岸辺にびしょ濡れでへたりこみながら、お前は別にいいだろ、という目で小学生を見ていた。
「僕、ムシキングやろうと思っていたのになあ!」
 飛び掛っていった小学生は案の定、ズボンを片手で掴まれてぐるぐるまわされる相撲巡業のニュースでかなりよく見るあの形になったが、最近サイフ落とした人たちは誰一人笑わなかったし、応援もしなかった。