ロシノリ「俺には信じられねえな!」

 高校一年生のロシノリは帰ってくるやいなや、LDKへ飛び込んだ。両親は、帰りの遅いロシノリを待たないで、晩御飯を食べ始めていた。
「宇宙が爆発したって本当かよ母さん!」
「ロシノリ、逆だよ。大爆発して宇宙ができたんだよ」
「大…爆発……」
「英語では、ビッグ・バンって言うんだよ」
「嘘だ!」
「本当だよ」
 ロシノリは父親を見た。無口な父親はその会話にはまったく興味が無いというように、黙々と箸を進めていた。
「嘘だ」
「本当だよ」
「だって、母さんは大爆発なんて日本語、言ったことないじゃないか。母さんはふざけているんだ。爆発に大をつけて、日本語で遊んでいるんだ」
「ロシノリ」母親は強い口調で言った。「確かに母さん、日頃、大爆発なんて言わない。もう四十五だし。そんじょそこらのもんが爆発したなら……そう、今みたいに爆発って言う。母さんは言うよ。でも、宇宙に限っては、大爆発を選択するよ。母さんは選択する。洗濯もするけど」そして、洗面所の方を指さした。
「ほら、ふざけてるじゃないか! 完全にふざけてるんだ! おもしろくないよ!」
「ふざけてないよ、ロシノリ。ついつい出ちゃった。お母さん、冗談出ちゃった。でも、大爆発して宇宙ができたのは本当だよ」
「嘘だ。そんなの、そっちは、おもしろすぎるもん。大爆発してできたなんて、宇宙、おもしろすぎるだろ。世の中こんなにつまらないことばかりなのに、大爆発してできました、なんて、ウケ狙いとしか思えないよ。そういう落語があるんだろ!」
「そんなのないよ。ロシノリ、そんな落語ない。母さん落語聞かないし。笑点に出てる人がテレビで落語してたらちょっと見るけど、それでもすぐ止めちゃうぐらいだよ。宇宙が大爆発してできたことなんて、みんな知ってるんだよ」
「ビグビー!」ロシノリは叫んだ。「ビグビー、おいで!」
 すると、白い大きな犬が廊下を滑りながら駆けてきた。
「ビグビー、大爆発して宇宙ができたなんて、嘘だよな」
 ビグビーは黙ってロシノリを見上げていた。が、ふいに目を逸らした。そして、父親の方に歩いていった。
「ごらん、みんな知ってるんだよ。この宇宙にいるみんなが知ってるよ」
 ロシノリは父親を見た。茶碗を持って、コロッケばかり見ている。
「この醤油差しも、知ってるんだな!」ロシノリは醤油差しをつかんで、母親を見た。
「知ってるよ」
「おい、お前、宇宙は大爆発してできたのか? 大爆発して、宇宙はできたのかよ?」ロシノリは醤油差しに問いかけながら、皿の中に向かって傾けた。
 ロシノリと母親、そして父親も、緊張の面持ちで醤油差しに注目する中、醤油が出た。
「そんな……馬鹿な……」
「わかったかい。宇宙は大爆発してできた。そして地球ができた。そのあと恐竜が住んだ」
「嘘だ!」ロシノリは母親を指さした。「恐竜が住んだって……ドラえもんの見すぎだろ!」
ドラえもんが後だよ。ていうか、ドラえもんも、ていうか、藤子・F・不二雄先生も、恐竜が住んでたことを知ってたんだよ。だから、『のび太の恐竜』が描けたんだよ」
「ピー助が……実在する……?」
「するよ。ピー助って名前ではないけど」
「じゃ、じゃあなんて名前だよ!」
「名前なんて無いよ」
「嘘だ! 名前が無くちゃ……友達になれないだろ!」
「友達なんていないよ」
「な……」ロシノリは目を見開いた。慌てて、母親の食卓にあった麦茶を飲んだ。「っん……それじゃ…それじゃ辛すぎるだろ、毎日が!」
「平気だよ、恐竜だから」
 ロシノリは息を呑んだが、すぐに呆れたような顔を見せた。
「じゃあなんだ、大爆発して宇宙ができて、地球もできて、恐竜が住んで、恐竜には友達がいなかったって? それで平気だって? 俺には信じられねえな! いい加減なこと言いやがってこのババア!」
「ロシノリ!」父親が突然叫んだ。
 ロシノリは肩を跳ね上げて驚いた。しばらく、ビグビーの息遣いだけが聞こえた。
「母さんの悪口を言うな」
 ロシノリは歯を食いしばるようにして、そこでようやく父親を見た。父親はコロッケを箸に挟んだまま、厳しい顔をロシノリに向けていた。
「ロシノリ」母親が穏やかな口調で言った。「恐竜にも、家族はいたんだよ」
 ロシノリは虚をつかれたように顔をこわばらせ、母親を見た。そして、震える手で醤油差しをつかむと、皿に向かって傾けた。醤油が出た。
「父さん…母さん……」ロシノリは泣いた。「ビグビーも……」
「ロシノリ。今こうしているのが不思議じゃないなら、宇宙も、恐竜も、全然不思議なんかじゃないんだ。わかったら早く飯を食え」
 母親はロシノリのご飯のしたくをするため立ち上がり、キッチンへ向かった。ビグビーがしっぽを振りながらついていった。