アフリカの人

「ご飯を残しちゃダメよ。アフリカには食べたくても食べられない人が沢山いるの。アフリカの人のために、ご飯を残さないようにしなきゃね」
「残さない」
 カミンはお箸を振り上げて答えましたが、すぐにお母さんがカミンのお箸を手で覆うようにしながら、元の場所まで押さえこみました。カミンはお母さんを見つめましたが、お母さんは何も言わずに、テレビの方を見てしまいました。カミンもテレビに目をやると、太った女の人が凄く慌てて喋っていました。
「アフリカってどこにあるの」
 お母さんは答えないで、まだテレビを見ていました。カミンは少し待っていましたが、今度はお父さんを見ました。お父さんも、お茶碗を持ったままテレビを見ていました。
「遠いところよ」
 カミンは驚いて、お母さんを見ました。
「お父さんは行ったことがあるの」
「ないよ」
 お父さんはそう言って、カミンを見ました。カミンも、まじまじとお父さんを見ました。
「ないよ」
 お父さんはまた言いました。
「お父さんがいつもご飯を残さないのも、アフリカの人がいるからなの」
「そうだよ」
 その時、テレビの方でワッと音がしたので、お父さんも、お母さんも、カミンも、テレビの方を見ました。みんなが、女の人のことを取り囲んでいました。お父さんは、しばらくテレビの方を見て、今にも笑い出しそうに、ニヤニヤしているように見えました。
「私も、アフリカの人のためにご飯を食べるね」
「うん」
 お母さんがカミンを見て笑いました。
「お味噌汁のワカメも飲むね」
「そうね。食べるのね」
「じゃあ、この、エビフライのしっぽも食べるね」
「偉いぞ」
 お父さんが言いました。いつの間にか、お父さんはカミンの方を向いていました。
「でも、そこまでしなくてもいいのよ。キレイに食べればそれでいいの」
 お母さんは言いました。
「食べたって平気だ」
 お父さんが、お母さんに言いました。カミンはお父さんが言う前に、もうボリボリしっぽを噛んでいましたが、すぐに変な顔をして、噛むのを止めてしまいました。
「ほら見なさい。カミン、出してしまいなさい」
「そのままよく噛んで、飲み込むんだ。お父さんがいつもやってるだろ」
カミンはお母さんを見ました。お母さんは、ムッとした顔でカミンを見ていました。
カミンはお父さんを見ました。お父さんも、同じような顔をしていました。カミンは、二度三度、しっぽを噛みました。
「そうだ。アフリカの人のためなんだろ。お前は優しい子だから出来るな」
 お父さんが言いました。カミンはまた口を動かしました。それから、しばらく噛んでいました。カミンが少しずつ飲み込むのを、お父さんは楽しそうに見ていました。お母さんを見ると、お母さんはテレビの方を向いていました。
そのままカミンもテレビに目をやると、ちょうど、さっきの太った女の人の顔にパイがぶつけられたところでした。ワッと音がしました。女の人の顔は、白いクリームだらけになりました。
「あはは、はっ!」
 お父さんはカミンが笑うのにつられてテレビに目をやりましたが、すぐにカミンの方を向きました。お母さんはテレビを見て笑っていました。
「食べられたか?」
「食べた」
「全部か?」
「全部」
 カミンは口を開けて見せました。
「えらいぞ」
 カミンは口を開けたままお母さんの方を向きましたが、お母さんは気付かないでテレビを見ているようでした。カミンはそのまま待っていました。口を開けて、じっと待っていました。
 やがて、お母さんがちらとカミンの方を向きましたが、すぐにまたテレビを見てしまいました。カミンはまだ口を開けてお母さんの方を見ていましたが、テレビでまたワッと音がしたので、そっちに目をやりました。誰かが喋っていました。そしてまた、お母さんの方を見ました。少しして、口を閉じました。
「ね、お父さん。私は、アフリカの人のために食べたの」
「そうよね。お父さんのためじゃないものね」
 お母さんが、テレビを見たまま言いました。お父さんは何も言いませんでした。三人は、しばらく黙々とご飯を食べていました。カミンはもう、エビフライのしっぽを食べないで残しました。そして、すっかり食べ終わりました。
「お母さん、アフリカの人のために、私、自分でお皿を台所まで運ぶね」
「気をつけてね」
 お母さんは微笑んで言いました。
「アフリカの人も喜んでるぞ」
 お父さんは新聞を広げながら言いました。お母さんがそれでちょっと笑うのを、カミンは見ました。
 カミンは重ねたお皿を運んで行って、まず、台所の上の縁のところにようやく乗せました。それから、お皿を少し押していきました。
 ふと気配を感じて振り向くと、お母さんが壁を右手で触るようにして、台所の入り口のところに立っていました。
「出来た?」
 お母さんは言いました。
 カミンは立ち尽くしてお母さんを見上げ、答えませんでした。
「出来たの?」
「うん……」
 お母さんは後ろを向いて、また戻って行きました。カミンもそれについていって、元いた自分の椅子に座りました。
「今日は、アフリカの人のために早く寝るのよ」
 お母さんは笑い出しそうだけれど真面目な顔で言いました。
「明日は、アフリカの人のために早く起きるんだ」
 お父さんは言いましたが、お父さんの顔は、カミンには新聞で隠れていました。
「うん」
 カミンはお父さんに見えていないところでうなずきました。お母さんを見ると、お母さんはお父さんを見ていました。お母さんは、カミンが見ているのに気付くと、カミンの方を向いて、楽しそうに微笑みかけました。カミンは少しの間、お母さんの顔を正面から見つめました。
「お母さん」
 カミンは言いました。お茶の入ったコップを両の手の平で持って、くるくる少し回しました。お母さんはまだカミンのことを見ていました。
「私、アフリカの人のために、犬を飼いたいな」
 その時、お母さんが真一文字に口を結んで、厳しい目でカミンを見るように変わりました。カミンが目を逸らしてお父さんの方を見ると、新聞の横から顔を出したお父さんが、カミンのことを、同じように口を結んだ厳しい顔で見下ろしていました。