お父さん、『よつばと!』読みました。

気をつけて!


この文章は、僕の創作です。大して本気で思ってもいないことを、なぜか「お父さんからマンガを送りつけられて、その感想を言うよう強制されている長男」みたいな設定で書き始めた創作です。だから、それ相応に、なんか親父を言い負かしたいみたいな雰囲気になってるんですけど、単なる文章書くための練習です。どれだけそこまで思ってない、他人の意見っぽいことを書けるかな、という思いのもとで書きました。御託並べました。テーマは、「現在の自分よりちょっと進んでないぐらいの人の考えを自分は書けるのか」なんです。深いぜ、これは深い。僕はもともとこういうのケンカになるから、ケンカがとても嫌いだから、ケンカしたことないから、絶対載せたくないタイプだったのですが、これならまぁいいかと思って載せたんですが、ブックマークでいらっしゃる場合に勘違いしてしまうので、ここにことわっておきます。なので、全然気合を入れて書いてないから文章もゆるいし、くれぐれもそういうふうに読まないでください。じゃあどう読めばいいんだ、って感じですけど、なんかこういうこと書いてる人がいるけどこういうこと本気で思ってる人は実際にはいないんだな、インターネットと言葉ってなんだろう、考えるのってすっごく楽しい、みたいなことを思ってください。同じ日の日記の『感想戦』を読んでくれると僕がホッとすると同時に、この前置き長すぎた、と恥ずかしがります。ビビると急にペラペラ喋り始めて、不良に一番最初にぶっ飛ばされるタイプなんです。


 一昨日、荷物が届きました。お父さんは『よつばと!』を僕に読ませたかったのですね。お父さんの考えそうなことです。早速読みましたので、お望みどおり、感想を差し上げます。お父さんの意に沿うものには、残念ながらならないと思われますが、どうかお許しください。
 僕は『よつばと!』を読んでいて、どうしても、いがらしみきおの『3歳児くん』を思い出しました。それは『あずまんが大王』を読んでいる時にどうしても『ぼのぼの』を思い出してしまうのと似たようなことでした。
 『よつばと!』に出てくる登場人物は、総じて、笑いがわかっている、という印象を受けます。なんであれ、場はうまくまわるのです。それは、登場人物全員、よつばでさえ、共通の笑いのコードにおいて会話する立場を多くの場合でとっているからです。この共通意識が例外的に消え失せるのは、例えば、よつばが普通の小さな女の子として現れる、声をあげて泣いてしまう場面ですが、その緩急がこのマンガの巧みなところと言えるでしょう。それ以外の場面では、明らかに共通意識が働いています。確かに、その方が都合がいいのです。しかし、これは現実の人間、ましてや現代の人間においては顕著なことであって、それ自体は致命的な問題にはなりません。もはやそれがリアルなのであり、そうした現実におけるある種の理想的な生活を描いているマンガと言えるでしょう。理想的、というのは、このマンガに空気の読めない人が出てこないからです。「やんだくうきよめ!」とよつばに言われてしまうやんだもそうだし、そして、奔放に振舞っているように見えるよつばでさえ、同じ意味で、空気が読める人なのです。
 そのことに加えて、律儀にキャラクターを描き分けるあずまきよひこにおいては、ディスコミニュケーションはそれほど強く現れません。これは、『よつばと!』において、教育的な関係(というのか知りませんが)にあるのが、とーちゃん一人であることも影響しているでしょう。登場人物の多くが、綾瀬家などに代表される他人であることで、よつばはほとんどの回で許される立場でいます。ですが、あずまきよひこはそのあたりも周到で、その逆、よつばととーちゃんの二人だけでは表現しにくい、家族という複数の人間関係の微妙なずれに関しては、主に、綾瀬家の中で描いています。また、『よつばと!』では、一つの事象に対して、それぞれの人間が違った反応をすることが印象的に見せられています。こうしたずれを切り取ることで、日常が描くべきものとして現れてくるのですが、しかし、僕としては、あずまきよひこの描くキャラクターが、キャラクターらしい、わかりいい特徴・性格を有しているために、そのためだけに、一つの事象に人物が違った対応を見せるように感じられるのです。Wikipediaを見ていただけるとわかりますが(わからなければ、実家にいる弟に聞いてください)、非常に的を射た登場人物紹介が書かれています。これは、現実を鑑みるならば、一人の人間として少しわかりやす過ぎるのですが、マンガの中での実現の仕方を見る限り、それでいいわけです。一人ひとりの個性がキャラクターらしさを逸脱して立ち現れることを、あずまきよひこは望んでいないように見えます。あずまきよひこのマンガは、笑いにおいて共通意識を持ったキャラクター達がキャラをなんだか楽しく暮らす、ということに尽きるのです。
 それから、あずまきよひこがマンガで描く出来事は、読者の経験(もしくはマンガを読むなりして得た擬似的経験)の裏打ちが存在するような、日常の「あるあるネタ」が多いということも目立つ特徴です。そして、それは、笑いの感覚から言えば、「浅いあるあるネタ」です。電車の吊革が届くか試したり、子供が見る高層マンションの高さなど、僕もやはり読みながら、自分がかつて覚えたような感覚を思い起こさずにはいられませんでした。きっとお父さんも懐かしく思い出されたことでしょう。突如としてよつばのものへと切り替わる視点など、五感に近いところへ訴えかける描写、そしてその筆力も一役買っているために、陳腐な印象は多くの人間が受けていないと思われます。それどころか、リアリティは、おそらく普通より(他のマンガで同様のことは描かれてきましたが、それよりも)鮮やかな形で想起されているはずです。
 しかし、ここでいがらしみきおの諸作品を引き合いに出すのなら、『よつばと!』を読んで多くの人が感じるであろうリアリティは、あくまでも想起したものなのです。それは、我々が既に知っているリアリティです。しかし、僕が『3歳児くん』に感じるのは、未知のものに対するリアリティです。そこでは、僕の思いも寄らなかった出来事や子供の反応が描かれているにも関わらず、僕はリアリティを感じるのです。いがらしみきおは、多くの場合、共通意識を排除するところから始めています。
 そのあたりの事情に僕は明るくありませんが、『あずまんが大王』と『よつばと!』、というよりもあずまきよひこというマンガ家が、いわゆるオタク文化的な土壌から出てきたということは、今まで書いたようなことと無関係ではないでしょう。その文化が重用してきて、それとともに成熟してきたのがキャラクターですが、キャラクターを超えた不穏なところは、キャラクターにはないのです。あるとすれば、それは不穏なキャラクターとして成立した形で登場します。
 これに対して反旗を翻すつもりはないので、別の可能性として提示するのですが、おそらく、メディアが何であれ作品という形をとったものが笑いとして「優れている」とするなら、僕は、それはほとんど「未知のリアリティを感じさせる」ということに尽きると思うのです。言い換えれば、その作品は、「新しい現実らしきものの創造」です。映像作品において最も強烈な形でそれを行なってきたのが松本人志であることは間違いの無いことです。そして、松本人志自身も言及するように、マンガで同じ事を行なっていたのがいがらしみきおです。僕はギャグマンガをずいぶんお父さんに読まされましたが、こうしたことをやっているのはいがらしみきおだけだと思います。お父さんには怒られるかも知れませんが、笑いのレベルがあるとすれば、こうした関係のうちに存在するのではないかと最近では思っています。
 もちろん、あずまきよひこがそうした笑いを目指していたりするわけではありませんから、それは一向に構わないのです。笑いに重点がおかれなければ、いがらしみきおとの比較は、少なくとも笑いという点では意味の無いことです。しかし、読んだ上で、その現実感の種類と強度を比べるのは、少しは意味のあることと思われます。僕が、知りもしなかったリアリティを感じさせられるのは、『よつばと!』の登場人物よりも、『3歳児くん』に出てくる3歳児くんの両親なのです。そこでは、人間が人間過ぎるような不穏な存在としてあり、キャラクターではありません。現実の人間と合致するところが多いのは、もしかしたら『よつばと!』の登場人物かも知れませんが、どちらがより人間らしく感じるかと言われると、僕は『3歳児くん』の登場人物だと思うのです。およそ初めて見るものにリアリティを感じるとは、一体どういうことでしょう。僕達は経験だけで生きているというわけではないのかも知れませんし、ある想像を、どこまで現実めいたものとして納得できるのか底が知れません。その底を知るためには、あまりにも、石を投げ込む想像力を働かせる者が足りないのです。少なくとも、よつばの子供らしさを、僕は読む前からよく知っていたような気がします。それでも、何か爽やかな気分にはなるのですが。……もちろん、どちらを取るのも取らないのも僕達の自由です。
 しかし、いがらしみきおがどうにも拙い絵で未知のリアリティを感じさせ、あずまきよひこがああした絵でリアリティを想い起こさせるというのは、何か非常に象徴的な気がします。あずまきよひこが多用する「同じコマの連続で微妙な間を表現する手法」はいがらしみきおが得意としていたものですが、その効果を見るにつけ、僕は時間とリアリティの密接な関係を思い知ります。それが未知の場面で使われてこそ、手法というものの意味があるように思えます。そうしない限り、全てのマンガは、ジャンルは違えど『よつばと!』になるしかないと思うからです。でも、それはもう『よつばと!』があるのです。……もう、何かを想い起こさせるものしかないのでしょうか。父さんが自分勝手に薦めるままに、色々なものに目を通して、どれもおもしろく読み終えるのですが、読む前からなんだか僕は知っていたような気がします。こういうことは、少し内省的で、感傷的だと思うのです。マンガによって新しい現実の一面を知るようなことは無いのでしょうか。僕は『3歳児くん』を読んだ時、笑ったし、何より本当に驚いたのです。


よつばと! (1) (電撃コミックス)

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3歳児くん (バーガーSCスペシャル)

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