でしゃばるな!

「まずは、ある映像を見ていただきましょう」
 とある大学の大教室、壇上の音楽室ノボル博士はそう言うと、三十二個もある会場の電気のスイッチを、両腕の全体を使って全部同時に消した。いや、すぐ何個かつけた。そして、振り返った。
「今の見た?」
 これは三十二個のスイッチ同時消しのことを言っているのだ。まあ確かに凄かった。あちこちから拍手が起こり、音楽室博士は二、三度うなずいてから、電気を消した。それを見て、この研究発表の最後にある質問タイムで目立ってやろうとたくらんでいる学者達は、ふざけていられるのも今のうちだぞ、というような顔をした。
「ちなみに今のは、スクリーンが降りてくるまでの時間稼ぎだから、ただふざけたわけじゃないよ。誤解しないでね」音楽室博士は言った。
 確かに、いつの間にか、黒板の前には巨大スクリーンがあった。ほとんどの人間が全然気付かないで、いきなり登場したスクリーンに、高学歴が揃いも揃って思わず立ち上がってウオーと叫んでしまったが、前列にいた人たちはむしろさっきからそっちばっかり気にしていたので、暗闇で、ちょっと後ろを振り返りながらニヤニヤ笑った。一方、質問タイムで目立ってやろうとたくらんでいた学者達は、全然効いてないよ、という顔でメガネを上げたが、図星をつかれてドキドキしていた。その七人のうち一人、メガネをしていない者がいたが、そいつはごまかすことが出来ず、気持ちで負けてしまい、そうすると、もう質問しなくていいや、とカバンからチョコフレークまで出してきて気楽なものだった。
「じゃあ、始めます」
 映像が始まった。何の変哲もない道路が映っている。向こうから、車が走ってくる。だんだん近づいてくる。その時、急にラグビーボールが画面の外から転がってくる。そして、それを追いかける子供の姿が。
「あ、あ、あ、危ない!」教室の中の優しい人達が全員で叫んだ。
 キキキキキー。
 車はなんとか、飛び出してきた子供の目の前で止まった。子供は、尻餅をついて呆然としている。車のドアが開いた。
 と、そこで映像が切れた。
「じゃあ、誰かに、感想を言ってもらおうかな。何か言いたい人」
 誰も手をあげなかった。今の映像を見て何を言えというんだ。レジュメを配って欲しい。わけがわかんないもの。でも、でも……強いて言えば、一つ気になる箇所はあった。これはみんな気付いているはずだ。でも、果たしてそこなのか。この映像の争点は。質問タイムで目立ちたい学者達も、発言したいのは山々だが、何を言うべきか迷っていた。
 音楽室博士はどうしても誰かに感想を言ってもらいたいらしく、薄暗い中、教室を見回した。みんな、学生のように下を向いてしまった。
 すると、質問タイムで目立とうと思っていた中から、一人が意を決して手を上げた。
「そこのメガネの方、どうぞ」
 その学者は指名されて立ち上がった。ここで勝負をかけたのだ。ここで一つ結果を出せば、波に乗れる。質問タイムでもっと目立てる。さっきの奴だ、ってなる。そのために、序盤から勝負に出たのだ。もしダメなら、それはそれ、これはこれ、あきらめて映画を見に来た気分で楽しむだけだ。それでいいよ、お菓子も持ってきているし。恐れるな! そんな気持ちだった。
「どう思いましたか?」博士が改めてたずねた。
「はい。飛び出してくるのがラグビーボールなのが、意外で、おもしろかったです。普通はサッカーボールなのに」
 俺もそれ言いたかった。みんな、心の中で一斉に思った。しかし、音楽室博士は発言者のメガネの方を向いたまま黙り込み、微動だにしない。誰もが息を呑んだ。どうなんだ。それを言って欲しかったのか。それとも、まさか、まさかあのメガネの人、怒られてしまうのか。
 しばらく、誰かがチョコフレークを食べている音だけが響いた。
 すると、音楽室博士が軽く鼻をかいて、少し笑った。
「え? なに、ボールがどうしたの?」
 ドゥロロロロ。
 博士が喋り終わった瞬間、教室の中に、奇妙な低い音が響き渡った。
 不思議なことに、教室にいる誰しも、その音の正体を知っているような気がした。そうだ、あれは、とんがりコーンの箱を開ける時の、一番最初の音。でも、どうしてこの状況でとんがりコーンを開ける時の最初の音が。
「じゃあ、次の映像を見てもらいましょう」
 音楽室博士は後ろを向き、壇上に戻った。あと五人。博士は次のでしゃばりメガネを葬り去るための再生ボタンを押した。