『ザ・ベスト』の置いてある歯医者

 僕は歯医者の待合室にいた。他に人はいなかった。暇なので、雑誌かなにか読もうと思って、隅っこの棚まで行くと、色んな雑誌に混じって一冊だけ『ザ・ベスト』(エロ本)があった。僕は全然興味ない『メンズ・ノンノ』と、ちょっと興味のある『プレイボーイ』の表紙をいくつか見ていたけど、チン負け(チンチンが根負け)して『ザ・ベスト』を手に取り、棚の前にしゃがみこんでパラパラと少し見てみた。そしたら、じっくり見たくなったので、それを持って席に戻った。
 真ん中の方で下着の特集があったので、それを見ていると、今までは角度的に見えなかった受付のおばさんが、受付から体を乗り出して僕の方を見た。僕は『ザ・ベスト』を隠すようにしながら、はにかんで頭を下げた。ちょっとキモかったかも知れない。
 すると、受付のおばさんは僕の方をにらみながら、何やら奥に手を伸ばした。
 ブーーー!
 いきなりブザーが鳴って、処置室の方でバタバタ音がしたかと思うと、マスクをした歯医者がドアを開けて出てきた。歯医者は歯石を取る器具を手に持って、ずんずん近づいてきた。そして、僕が膝の上に開きっぱなしにしている『ザ・ベスト』を確認した。
「読んだな」歯医者は冷たく言った。
「え……はい……」
「こっち来な」歯医者は僕を招くような手付きをした。
「いや、でも」
「いいから、ついて来な」
 僕は悪い予感がしたので、そのまま座っていた。歯医者は、呆れた様子で、腰に手をあてた。
「どうして、それ読むかな。歯医者で。いっぱい雑誌あってさ。『プレイボーイ』も置いてるよ。女の子の裸、載ってるよ。それなのに、どうして『ザ・ベスト』なの。どうしてガッツリとエロにいっちゃうかな。歯医者で」
「すいません」
「ここ歯医者だよ。何しにきたのさ。『ザ・ベスト』読みにきたの?」
 受付を見ると、体を乗り出したまま、おばさんが軽蔑するような目付きで僕を見ていた。
「虫歯の治療にきました」僕は『ザ・ベスト』を手で隠しながら答えた。
「そうだよね。じゃあ、なんで『ザ・ベスト』読んでるのさ。そうやって手で隠してさ。隠すぐらいなら、最初から読まなきゃいいのに。歯医者で『ザ・ベスト』なんか、読まなきゃいいのに」
「すいません」僕は『ザ・ベスト』を閉じた。
「いや、閉じなくていいじゃん」歯医者はすぐさま言って、歯石を取る器具をページの隙間に挟んで、そのまま開いた。偶然、僕が読んでいた下着特集がおっぴろげになった。
「スケベの外食?」歯医者はページをトントンと器具で叩いた。「歯医者で」
「そういうわけじゃ……」
「とにかく、こっち来て」歯医者は歩き出した。
 僕はそのまま座っていた。歯医者は振り返らずに、入ってきたのとは別のドアの方に歩いていき、そのまま入っていってしまった。ドアがバタンと閉まった。
「早く先生について行きな!」受付のおばさんが怒鳴り声をあげて、僕に向かって追い払うような仕草をした。
 僕は立ち上がって、『ザ・ベスト』をどうしようか少しうろうろした。
「持ってけ持ってけ!」受付のおばさんは手を振り上げてまた怒鳴った。「ドスケベ! 虫歯!」
 僕は『ザ・ベスト』を持って、歯医者が入っていったドアを開けた。歯医者がこっちを向いて立っていた。その奥に、歯医者椅子が横向きに三つあって、そのうち二つにはおっさんが座っていた。おっさん達は、『ザ・ベスト』を胸に抱いて、首をひねって僕の方を見ると、力無く笑いかけてきた。