救急車 〜そして伝説へ〜

 お腹が猛烈に痛んだので、ヒロハルは救急車を呼んだ。とはいえ、いくらなんでもヒロハルだってそろそろ二十歳の男の子だし?そんなすぐに救急車を呼んだわけではなく、一時間色々あって我慢してして、でもダメ痛い、死ぬ、と思ったから119番したのだった。それだけは、ヒロハルのためにもわかってやらなければいけない。一人暮らしはこういう時、困る。親御さんの心配もわかるというものだ。
 呼び鈴が鳴ったので、ヒロハルは玄関までなんとか歩いて行って、ドアを開けた。激痛に耐えながらも、着替えはすませていた。こんなことのために原宿で服を買ったわけではないが、ヒロハルとしてはいつでもビッと決めていたいのだ。
 そこに、救急隊員の男が立っていた。後ろには女もいた。
「歩けるんだな!?」救急隊員の男が、腹痛のためにドアにすがりついて前かがみになっているヒロハルを上から指さした。
「ちょっと、無理です」
「じゃあ、最初からそう言えよ」
「そうしたら、ここに最初に来る段階でストレッチャーを持ってくるでしょ、こっちだってバカじゃないんだから」女の方が、男の肩口から顔を出して言った。
「一分一秒を争ってるのはお前自身なんだぞ!」
 男は救急車の方に戻って行った。
「あの人、工藤さんはあんな厳しいこと言うようだけど、あれは厳しさという姿に身をやつした、最大限の優しさなのよ」
 ヒロハルはそれについて考えるのもうっといので、呼吸に専念していた。
「優しさらしくある優しさが全て人の気に入るものだと思うのは傲慢よ。工藤さんはそれについて誰よりもよくわかっているの。善とは常に偽善を振り切ろうとする態度のことだ、と工藤さんは言ったわ。逆に言えば、救急患者に対して何もしてあげられることが出来ないと一番強く感じているのは、他でもない工藤さん自身なのよ。聞いてんの?」
「はい」ヒロハルはろくに聞いていなかったが、とりあえず息も絶え絶えしんどそうに返事した。
「いや、あんたは聞いてない」女は言った。「一つも聞いてないよ」
「すいません、でも――」
 その時、さっきの男――工藤さん――が、別の男と一緒にストレッチャーを運んできた。
「よし、乗れ」工藤さんは言った。
「ちょっと待って」女がそれを制して言った。ヒロハルを見た。「でも、なによ」
「え?」とヒロハル。
「すいません、でも――何よ、何て言おうとしたのよ。言い訳しようとしたんでしょ、言ってみなさいよ」
「そんな」
「早く!」女は叫んだ。
「僕、お腹が痛くて」
「そんなことはわかってるわよ!」女はそこで舌打ちした。「ああもういい、いいから早く乗れ!」
「ユッコ、落ち着け」工藤さんが言った。
「ピリピリしたら負け、負け」新しく来た男も言った。
 ヒロハルはなんとかストレッチャーに横になった。工藤さんに家の鍵を渡した。工藤さんは女――ユッコ――に鍵を渡した。
「きたねえ家に住みやがって」ドアを閉める時、家の中を見てユッコが吐き捨てるように言った。
 ヒロハルは救急車に担ぎこまれた。腹はどんどん痛くなってきていた。ヒロハルは目を閉じた。そして、意識を失った。
 次に目を覚ました時、ヒロハルはまだ救急車の中にいた。天井に見覚えがあった。腹はまだキリキリ痛む。工藤さんではない方の男がそばに座っていた。
「あの、僕、どのぐらい寝ていたんですか」ヒロハルは声をかけた。
「一時間ぐらいかな」
 ヒロハルは驚いた。
「まだ着かないんですか。まさか、たらい回しとか」
「いや、ユッコが一回家に寄りたいって言うから、寄ってるんだ」
 そういえば、救急車は完全に停車していた。
「そんな」
「いや、たらい回しはたらい回しでされてるよ」
「本当ですか」
「うん。だから、一時間も一時間十分も変わらないだろうってことで、寄ったんだ」
「困りますよ」
「うん」
「僕のお腹、大丈夫なんですか」
 男は答える気はないとでもいうように、カーテンをめくって外を見た。そしてそのまま、窓にもたれかかってカーテンを頭にかぶるようにして、修学旅行とかのバスで筆者が突然憂鬱な気分になった時みたいになった。筆者はよくそうなったよ。行くたびになった。そこで寝たふりしてた。突如そうなるの。そうやってると、近くの人がお菓子を出して分け合うみたいなことになった時に、自分のことをどうしようか、お菓子をあげようかそっとしておこうかみたいな会議が聞こえてきて、不思議な気分になるの。
 やがて、ドアが開き、ユッコが入ってきた。
「DS全然見つからないでやんの。そしたらなぜかキッチンにあった」ユッコは楽しそうに言ったが、ヒロハルに気付いて真顔になった。「起きてるし」
 ヒロハルはユッコをにらむように見た。
「何よ、その目は」
「別になんでも」ヒロハルは不機嫌に言った。
 ユッコは黙ってヒロハルを見下ろしていたが、突然、腕を伸ばして、ヒロハルの腹を、連打するように何度も手で押した。
「んだよ!」ヒロハルはしぼり出すような声で叫んだ。「止めろよ! 痛いな!」
「本当に痛いのかしらねえ!?」ユッコも負けじと叫んだ。
 ヒロハルは助けを求めるように男の方を見たが、相変わらずカーテンをかぶっていた。
 その時、救急車全体が、何かが張り詰めるようなか細い音とともに、不思議なピンク色の光に包まれた。まぶしさに、視界が覆われていくような感じがした。
 ヒロハルとユッコは呆然として辺りを見回し、男はそのままカーテンをかぶって外を見ていた。
 運転席にいた工藤さんが、ヒロハルたちのところまでやって来た。
「どうなっているんだ、これは」工藤さんが言った。
「わからないわ」とユッコ。
 そこで、一層ピンクの光がまばゆくなり、目を開けていられないほどになった。誰もが目を閉じた。何やら遠くから声が聞こえてきた。
『お前たち四人は、選ばれし者。四人で力を合わせて、高音から低音の魔王ドップラーを討ち、ドップラーに捕らわれしイエローピーポー達と、ピーポーランドを救うのだ。聞こえるだろう、ピーポーたちの悲痛な119番通報が! さあ、今こそ出動だ!』
 すると、ピンクの光が一瞬にして飛び散るように消えた。
 オトコがカーテンから顔を出し、三人の方を見た。そして、何も言わずにそのままカーテンを開いた。
 救急車の外は一面の草原だった。遠くに、小さな村が見えた。
「そこがどこであろうと、119番通報があれば俺は行く」クドウは早くも凛々しい顔つきになっていた。
「DSの充電」ユッコが同じような顔で言った。「コンセントの規格とか、一緒かしら」
 こうして、HPが早々に3しかないヒロハルは、胸いっぱいの不安要素を抱えて冒険の旅へ出ることになったのだった。本当に気の毒なことではあるが、なんとか頑張って欲しいものである。