女友達、ホワイトデイに沈む

 ホワイトデイの帰り道はハルコにとって夢の架け橋、カバンに入ったキャンディーがセブンイレブンで売っていたとしてもいい気分なのだ。
 いまや天にものぼろうという気持ちでスキップも辞さないハルコだが、その時、後ろから騒がしい足音が聞こえてきた。その足音がこっちに向かってくると感じたハルコが振り向くと、メルミが駆けてきていた。メルミは違うクラスなので、ハルコは先に帰るところだったのだ。
「ハルコ、もらったでしょ?」息を切らせたまま、メルミが言った。
「もらったって何が?」
「何がって……」
「うふふ」ハルコは機嫌よく笑った。「メンゴメンゴ。なんていうか、喜びを一人で噛みしめたい時ってあるじゃない。いくら友達とはいえさ」
 メルミは黙って、不穏な顔でハルコを見た。
「何よ」とハルコは言った。
「ハルコ、聞いてないの?」
「何が」
「鈴木君と長谷川さんが、付き合うことになったのよ」
「……聞いてへんな」
 余りのショックの大きさに、ハルコのお喋りメーターは標準語ゾーンから関西弁ゾーンへと一気に振り切れた。標準語ゾーンには堀北真希の顔が描かれているが、関西弁ゾーンになると、なぜかよく見るような気がする、口を突き出したトミーズ雅の横顔が描かれている。
「でも、そうなったんだって」
「そうなったってなんやねん。どないなっとんねん」
「落ち着いてよ。関西弁じゃまともに話し合えないでしょ」
 ハルコは突然喋るのを止め、あきれたようにメルミを見た。メルミもハルコを見つめ返した。
「なによ、関西弁じゃまともに話し合えないって」とハルコが言った。
「いや……」
「関西じゃ、関西弁で話し合ってるよ」
「ごめん。でも、そんな場合じゃないのよ。わかって、ハルコ」
「……それで、それ、一体どういうことなのよ」
「それが、吹奏楽部の長谷川さんが鈴木君にバレンタインのチョコあげたらしいのよ。それで、今日、お返しの時に、鈴木君がOKしたんだって」
「そんなの聞いてないじゃん。何よ、突然しゃしゃり出てきて」
「それが、そうじゃないんだって。チョコあげた時から、これでとうとう結ばれるみたいなことをみんな言ってたんだって。もともと、二人は両思いとか、そういう噂で持ちきりだったんだって」
「そんな噂、全然聞いたことないよ」
「私達のとこには流れてこなかっただけなのよ。そういうことになってたんだよ」
「なんやねんそれは! 吹奏楽部かなんか知らんけどな、こんなの、トンビが油揚げさらったようなもんやないか!」ハルコはそばにあった電信柱を殴りつけた。
 メルミは今度は何も言わなかった。
「だから違うんだって、もともと二人は、何? いいムードだったんだって。一年の時、同じクラスで、ちょっとそういう話が出てたんだって。意識しあってる、みたいなさ」
「せやからそんな話は聞いたことない言うとんねん! あの女狐、ほんまなめくさりやがって……!」
「ハルコ!」
「お前はええんか、こんなルール違反、許してええんか! 恋とスポーツは、これ正々堂々いかなあかんとちゃうんか! 少女マンガをお手本に、そして時には反面教師にして、わしらはそれを学んできたんとちゃうんか!」
「だから何度言えばわかるのよ! 向こうはもともと噂になってたんだって。私だって悔しいよ、悔しいけど、そうなんだって。私たちが知らなかっただけなの!」
「なんでわしらは知らんねん! なんでわしらは知らんねん!」
「それは――」
「なんでわしらは知らんねん! ああ? ああん!?」
「だから、それは――」
「長谷川のアホの泥棒オメコが陰でコソコソやっとるからやろが!!」
 ハルコがまた下品な関西弁で叫ぶと同時に、髪を振り乱し、目を剥いて、大口開けてメルミに汚い顔を近づけた時だった。
 パン!
 メルミがハルコの頬を思いきり平手打ちした。そして、言った。
「友達がいねえからだろ!」
 ハルコは頬への強烈な一撃と、メルミの言葉に放心状態となり、頬を押さえもせずにメルミを見た。
「だから、全然情報が入ってこないんじゃねえかよ。なあ。おい。女子の情報網から抜け落ちてんだよ。俺らはよ。こんなのよ、ハブられたウンコ二人がゴチョゴチョやってるだけなんだよ、外から見たらよ。鼻にもかけられてないんだよ。バカにされてんだよ、お前にはそれがわかんねえのかよ? なあ、顔だけじゃなく頭もわりいのかよ!?」
 メルミは口汚く言いながら、怒りに震えていた。まだ何か言いたそうに喘ぎながら、メルミを見ていた。ハルコは怒ったように、メルミから目を逸らさなかった。
「それを言わんように言わんようにしてきたんちゃうんか」
 メルミは黙っている。
「傷はあるけども、パックリ開いとるけども、知らんふりして、ここまでやってきたんちゃうんか。なんでそんなこと言うねん。なんでお前が言うねん」
「……」
「なんでお前の方がそういうこと言うねん」
「……」
「お前の傷の方が多いねや。深いねん。より弱者やねん。わしはともかく、なんでお前の方が言うねん。なんで傷だらけの、ウィークポイントの多いお前がそれを切り出すねん。早く気付いたみたいな顔で。あと顔も悪いとか言っとるけども、お前の方が悪いで、きったないきったない赤点ヅラしとるわ」
 メルミはそこで気付き、顔色を変えた。怒ったような表情になった。
「同じようなもんだろ。なんだ弱者って。わけわかんねえこと言いやがって」
「わしが、わしが! 付き合ってやっとんねん、お前と」
「は?」
「昼飯も一緒に食べてるけどな、食べてやってるけどな、お前の方はなんや助かった、とりあえず雨宿りの場所見つけたような気で、一人で食わんと済んだと思ってるかも知らんけど、わしの方はお前と食うててむしろ恥ずかしいと思とんねん。飯も喉をよお通らんねん」
「助かったなんて思ってねえよ。つうかてめえあんなバクバク肉ばっか食っといてよくそんなこと言えんな、コデブ、おい」
「わしにハブかれたら、お前、いよいよやぞ」
「あ? おい」
 メルミはハルコの胸倉をつかんだ。
「やんのか? やんのか?」とハルコ。
「クズだな、本当のクズだなお前は」
「そのクズにクズ扱いされとるお前はじゃあなんやねん、なんやねん」
「お前みたいなクズの認識なんか信じるわけねえだろうが!」
 そこで堪忍袋の緒が切れたメルミは「おい、おい」とつぶやきながら、胸倉をつかんだままハルコを押した。そのまま壁に激突させ、強く押し付けて揺すぶった。ハルコがうめいた。
「大概にしろよ、ドクソが」とメルミ。
 ハルコは暴力という手段に出られると、幼少時の両親をめぐるナーバスな記憶――ここで明かすことはできないが――が深層心理で働いて、ショック状態に陥ってしまうのだった。
 ハルコが腑抜けのように黙っているのに気付いて、メルミは不審に思ってつかんでいた手を離した。ハルコは下へ下へだんだんずり落ちていき、電信柱と壁の隙間にパンツ丸出しで倒れこんだ。やがて、我に返ってか泣き始めた。
 メルミはそれを呆然と見下ろしていた。
 しばらく間があったが、突然、ハルコが大きく息を吸い込んだ。
「わしかてもっとランクの高い女子のグループ入りたいわえ!」ハルコが道の真ん中で絶叫した。「入学前、こうなることなんて考えてるかい! そこそこの希望を、手に持てるだけの希望を持って、入学してきとんねん!」
 メルミはなおもうつろな目でそれを見下ろしていた。
「筆箱とかも、お前、入学にあたって、全部新しくしてなあ。コンタクトにもして。美容院にも行ったわえ!」そこでハルコは急に言葉を止めた。メルミを見た。そして、空を見上げた。泣いていた。「なんやねんこれは! どうなっとんねん! 夢も希望もクソも、全体的に最悪やないか! 楽しいことなんて一個もないわ! どうせ死ぬまでこうなんや! お前にもわかったぁるやろ!?」