食卓エマージェンシー

 ぼくはいつも、兄ちゃんや弟と比べられてきた。お父さんとお母さんは、何をやらせても完璧な兄ちゃんを褒め称えて、愛らしい弟をかわいがった。ぼくには、そのどちらも無い。そればっかりか、ずいぶん出来も悪いみたいだ。だからいつも怒られてばかり。ぼくは、いらない子なんだ。
 ぼくは、将来の事や、幸せについて考えていた。ぼくだけじゃなく、家族みんなが今より幸せになることについて考えていた。ぼくは誰にも相談せず、とても長い間、毎日、じっと一人で考え続けていた。ぼくがそのことを考え続けている間に、ダウンタウンDXに笑瓶が三回も出演したぐらいだ。
 そして、ぼくが出した結論は、家を出ておばあちゃんの家で暮らすということだった。ぼくは晩御飯の途中で、それを発表した。
「ぼくは、この家を出て、おばあちゃんの家で暮らすよ」
 お父さんとお母さんが驚いたようにぼくを見た。
「何を言ってるの」とお母さんが言った。
「ぼくはもう、この家にいるのがいやになったんだ。この家に、ぼくなんていらないんだ。だから、おばあちゃんの家で暮らすんだ。おばあちゃんと二人で暮らすんだ」
「馬鹿なことを言うな」お父さんがぼくをにらんだ。
「馬鹿なことじゃないよ!」とぼくは叫んで、腹立ちまぎれに、お箸を床に投げつけた。
「ワンワン、ワン!」弟はテーブルの下で吠えて、身構えた。
「止めなさい、どうしてあんたはそうなの! マコトが怖がってるでしょ!」とお母さんが怒鳴った。
「ほら、だって、すぐそうやって、弟のことばかり言うんだ。弟ばっかりかわいがって、ぼくを怒るんだ。怒鳴り散らすんだ。ぼくも犬に生まれたかったけど、そうじゃなかったから、この家を出て行くしかないんだ!」
 お父さんもお母さんも、黙っていた。弟だけが、ぼくの足元で吠えていた。
「ケンジ、それはお前の考えすぎだよ」遠くでお兄ちゃんが言った。
「兄ちゃんだってそうだ!」ぼくはお兄ちゃんを見た。
 兄ちゃんは、テレビの横にあるエナジー・チャージ・ステーションにドッキング接続して、エナジーをチャージしたまま、顔だけこっちに動かして、ぼくの方を見ていた。
「兄ちゃんはザ・パーフェクト・ロボだから、ぼくの気持ちなんてわからないんだ。ダメな奴の気持ちなんかわかんないんだ」
「ワン、ワン! ワン!」
「ケンジ、俺に感情は無い。でも、お前の気持ちはわかる。なぜなら俺は、ザ・パーフェクト・ロボである前に、お前のお兄ちゃんだからだ」
「そんなの嘘だ! 兄ちゃんは、ぼくの努力も、何にも、わかんないんだ。お兄ちゃんはザ・パーフェクト・ロボだからわかんないんだ!」
「わかるさ。俺も、お前が生まれる前までは、こんなふうに喋ることができなかったんだよ。片言でしか喋れなかったんだ。母さん、そうだよね」
「ワンワン! ワン!」
「そうよ。ケンジ、お兄ちゃんもね、努力したから今のお兄ちゃんがあるのよ」
「ワン! ワン!」
「そんなの、努力のうちに入るもんか。苦労してないんだ。努力してもできない奴の気持ちなんかわかりっこないや。ぼくは足も遅いし、勉強も出来ない。視力も悪いよ。顔もいまいち。兄ちゃんは、練習しないでもマッハの速度でリレーの選手だし、円周率だって何億桁も言える。ザ・パーフェクト・アイは望遠鏡にもなるし、街を走れば小さな子供が寄ってくる。背中のミサイルバズーカは未知の破壊力だ。ぼくにはなんにもないよ。兄ちゃんのようにはなれないんだ。そして、マコトのように、柴犬でもない。だから、お父さんやお母さんに愛されることもないんだ。それなら、ぼくなんか、産まなけりゃよかったのに!」
「ワンワンワン! ワン!」
 お母さんは目を見開いてぼくを見つめた。
「ケンジ、落ち着け。父さんや母さんにそんなことを言うのは止めろ」と兄ちゃんが言った。
 兄ちゃんの目の部分は赤く光っていた。赤は、興奮状態を示すシグナルなのだ、と前に聞かされた。ぼくには、それも気に食わなかった。そうやって、無理やりぼくを黙らせようとするんだ。
「うるさい!」ぼくは思わず、ご飯の入ったお茶碗を引っつかんで、兄ちゃんに向かって思い切り投げた。「ロボット!」
 兄ちゃんの肩の、すごく硬い物質でできた銀色の装甲にお茶碗が当たり、ガチャンと音を立てて割れた。床に、お茶碗のかけらとご飯が散らばった。
「ワンワン、ワンワン、ワン!」と音にびっくりして弟が激しく吠えた。
 同時に、弟はそこに向かって足を滑らせながら駆けて行った。そして、床にこぼれたご飯をがっついて食べた。
「ケンジ、あんた……」とお母さんが言った。「兄ちゃんはエナジー・チャージ中なのに、なんてことするの!」
 背後から、お母さんが走り寄ってくる足音が聞こえた。
 ぼくはそっちを向かずに、兄ちゃんをにらみつけていた。ぼくはお母さんに肩をつかまれて、無理やりお母さんの方を向かされた。お母さんは手を振りかざして、ぼくを叩こうとした。
「母さん、暴力はダメだ」と兄ちゃんが言った。「ケンジ、すぐに家を出るんだ」
 ぼくはお母さんと目を合わせたまま、その言葉を聞いていた。その向こうに、お父さんが座っているのがわかった。
「早くするんだ。エナジー・チャージ中を示す、俺の腕のチャージング・ランプが赤いうちに、早く俺の目の前から消えるんだ。これが緑色に変わってチャージ完了を知らせるいつものメロディーが流れた時、お前が目の前にいたら、エナジー・チャージを完了した俺はお前を殺しかねない。生体反応に対して常に照準を合わせるザ・パーフェクト・アイが、両腕のアーム・マシンガンと連動しているのはお前も知っているだろう。もう既にエモーショナル・メーターの数値はリミットを越えている。エナジー・チャージ中でなければ、とっくにエマージェンシー・ブザーが鳴っているはずだ。その時には、俺の判別機能は、自動的に一時解除される。そんなことになれば、アーム・マシンガンを自制することはできない。その状況下では、俺は、家族の一員という意味では、ザ・パーフェクト・ロボではなくなってしまう。そんなことにはしたくないんだ。わかるだろう、ケンジ」
「ケンジ、わかったでしょ! 出て行きなさい!」お母さんはいつの間にか泣いていた。
「ワン! ワン! ワン !ワン!」
「とりあえず、早く出て行くんだ」お父さんも座ったまま言った。
 ぼくは、もうどうなったってよかった。兄ちゃんの言っていることは真ん中ぐらいから、難しい専門用語が多すぎてよくわからなかった。こうやって、いつだって、ぼくにわからない話をするんだ。そして、弟はともかく、それを知りたがっているぼくに何一つ説明してくれないんだ。みんなでわかってるだけなんだ。ぼくはとても悲しくなった。だから、意地でもそのまま動かないと決めた。
「ケンジ、家族の幸せを考えるんだ。早くしろ」と兄ちゃんが言った。
 ぼくは、それを考えたはずなのに、こんなことになってしまった。やっぱり、ぼくの方が間違っているのだろうか。ザ・パーフェクト・ロボの兄ちゃんが間違えたことなんて、くやしいけど、一度も無かった気がするのだ。いつもぼくがダメで、間違っていて、それがぼくには悲しかったのだ。ぼくはゆっくり家族を見回した。弟以外、誰も動かずに、ぼくの方を怖い目で見つめていた。
「早くするんだ! これは本当のことなんだ! 早くするんだ!」兄ちゃんが怒鳴った。
 兄ちゃんの目は赤く点滅していて、ぼくは、お兄ちゃんの目が点滅している状態を初めて見た。怒鳴るのも、初めて聞いた。すると、お父さんが慌てて立ち上がり、ぼくの肩を掴んで、ぼくをリビングから追い出そうとした。でも、ぼくは反抗した。
「早く出て行け! ケンジ!」兄ちゃんは聞き慣れない大声をまた張り上げた。「最後の忠告だ!」
 ぼくは兄ちゃんを無視した。お母さんは泣きながらぼくの背中を本気で叩いた。それから、力任せにぼくの体を押そうとした。ぼくは、こらえていたので、お父さんが力をこめた時に、そのまま倒れた。その拍子に唇を噛んだ。すぐに血の味が口の中に広がった。
「誰が出て行くもんか!」ぼくは床にはいつくばって、大声で叫んだ。
「ワンワン! ワン! ワン!」弟まで、すぐそばでぼくに向かって吠えたてた。
 お父さんは、倒れたぼくの両腕を掴んで、そのまま引っ張っていこうとした。ぼくは、足をテーブルに引っ掛けた。それでもお父さんは引っ張り、テーブルが勢いよく動いた。ぼくは足を一旦離して、テーブルを思いきり蹴り上げた。テーブルが向こうに倒れていき、凄い音がして、お皿や食事が全部ぶちまけられた。
「キャイン!」と弟が飛びのいて鳴いた。
 お母さんも、声にならない声で叫んでいた。お父さんも手を離し、何か叫びたてながら、僕のお腹を何回も蹴った。ぼくが下向きにうずくまると、今度は背中を力を入れて踏みつけてきた。弟が一目散に走って行って、ぶちまかった食事を食べ始めるのが横目に見えた。
「早くしろよ! 早く! 急げ!」と兄ちゃんがあせって叫ぶのが聞こえた。「充電が終わるぞ!」
「マコト! 逃げるの、逃げるの!」とお母さんが弟に向かって叫んだ。
「ワンワンワン! ワン!」弟は食べ物から顔を上げて吠えた。
 ぼくは引っ張られながら体をたてなおして、お父さんと取っ組み合った。お父さんは、今度はぼくの顔を思いきり殴った。ぼくも殴ろうとしたけど、お母さんが後ろからぼくを羽交い絞めにしたので、ぼくは好きに殴られた。
「ワン!」
「もうやばい! もう――」
 兄ちゃんがそこまで声をだした時、ドラえもんのメロディーが鳴り始めた。そして、すぐにそれをかき消すようなブザーの音が響いた。すぐに、まばゆい赤の閃光が部屋中に広がった。
「ワンワン! ワン!」
 うちは、のび太の家のようにはならなかった。そうだ、ぼくはずっと、のび太が羨ましかったのだ。