手巻き寿司

 小さい頃、家族で手巻き寿司をしたことが誰しもあるだろう。なかったらごめんな。
 そんな思い出をきつく抱きしめたまま中学を卒業し、高校生になった男達がいる。別に高校生になっても家で手巻き寿司はやるが、そんな彼らのことを人はそれぞれの名字やニックネームで呼ぶ。
「森田先輩!」
 その男の一人、森田のことを、後輩が呼んだ。森田はちゃぶ台の前で腕を組み、海苔の上にご飯を敷きすぎたような顔をしていた。
「どうしたんすか、海苔にご飯を敷きすぎたような顔して」
「なんでもない、どうしたんだ」
「思いついたんですか、新しい手巻き寿司ちゃんは」
 森田はすぐには答えず、ただおひつの中の酢飯を手ですくってほおばった。別に酢飯の味がどうのこうのじゃなく、ただ小腹がすいたのだ。手巻き寿司を志す者は、よい舌を持っていてはならない。そんなものを持っているなら、中学を卒業してすぐ寿司屋か料亭に勤めるべきだ。
「わからないんだ。新しい手巻き寿司も、上の方だけ開いてるあのプロっぽいよさそうな巻き方も」
「北高の巻は、何やら動き出しているらしいですよ」
「巻の野郎、何か見つけやがったな……ネクスト手巻きのヒントを」
 手巻き寿司部は県内に三つあるが、中でも北高の巻はその名字から「手巻き寿司を巻くために生まれてきた男」と呼ばれて恐れられており、モテなかった。
 それから、森田は新しい手巻き寿司の可能性を模索したが、見つからず、とうとう週刊少年サンデーを読み始めてしまった。普段読まないマンガ雑誌、しかもサンデーを読み始めるとなると、これはもうだいぶ煮詰まっている。そう、この時森田は、次もシーチキンとカニカマをマヨネーズで和えたやつでいいや、と思い始めていたのだ。
 それを見ていた後輩は、神妙な顔でこう切り出した。
「先輩、黙っていましたけど、俺、この間、商店街で巻に会ったんですよ」
「なんだと」とサンデーを閉じる森田。指を間に挟んでいる。
「会ったんです。そしたら、あいつ、先輩の悪口を言って――」
「なんだと!」森田は指を離し、サンデーを放り投げた。
「ええ、それから奴はこう言ったんです。『次の勝負で――」
「どんな悪口を言ったんだ、巻は!」
「いや、それは……それで、あいつは『次の勝負で俺は手巻き寿司の常識をひっくり返す』って、そう言ったんです」
「それで、巻はどんな悪口を言ったんだ、あいつは!」
「それは普通の悪口ですけど、先輩、そんなことじゃなく、あいつが持っていた買い物袋の中には――」
「巻はあいつ、どんな悪口を言ったんだ、一体!」
「先輩、聞いてください。巻が持っていた買い物袋に――」
「巻はどんな悪口を、一体あいつは言ったんだ、巻は!」
「先輩」
「巻は、どんな悪口をあいつは、一体、巻は言ったんだ、悪口をあいつは、どんな!」
「先輩」
「巻は一体悪口を、あいつは言ったんだ、どんな! 巻は、悪口を一体どんな、どんな!」
「聞けよ」