魔王

 環境破壊が進んでいることにMK5だった魔王は、ッポン人(日本人。主に悪口を言うときに使用)が半袖で過ごしたりエアコンの設定温度を上げたりしただけで環境に優しいづらをしているのを見て、いよいよMKの運びとなった。
 すぐに「俺を殺せ。殺しに来い」という内容の手紙が国会議事堂宛てに配達され、それが速達であったことから魔王の怒り心頭っぷりがうかがえた。お触れはすぐに出された。
「魔王を殺した者に国民栄誉賞」
 こうして、イチローは辞退した賞をもらおうとして、日本中で六万人の勇者と十八万人の仲間達が誕生した。
 小学生のマサオも、パッしない人生をドカンと一発やってやろうじゃんと威勢よく立ち上がった。しかし、学校の友達はもうパーティーを組んでしまっており、常日頃から学校に行くと靴の中敷がよく無くなるマサオは必然的に余るパターンとなった。「先生と組むか」という声はもう聞きたくなかったマサオは昼休みになると、クラスメイトに「お前らには飽き飽きした」と捨て台詞を吐いて教室を飛び出した。「凄いパーティーを組んで、まずお前らを殺してやる」
 マサオのあだ名は「口だけマサオ」だったが、今回ばかりは発言内容が恐ろしかったので、みんなはマサオに対する警戒レベルを、最高レベルの「Aマサオ」に設定した。ちなみに今までは、マサオの顔に濡れ雑巾を入れたバケツをかぶせたらマサオがそのまましばらく動かず、これはマサオさすがにキレるんじゃないか、となった時の「Bマサオ」が最高である。
 昼休みが終わる頃、マサオが教室のドアを開けた。「Aマサオ」で警戒していたみんなは既に防災頭巾をかぶっており、横一列に並んだ運動神経のいい男の子たちが箒の先を一斉にマサオに向けた。
 しかし、マサオの後ろに聳え立つ大きな影を見て、箒は手から滑り落ちた。そこには国の出したパンフレットで見たことのある魔王がいた。あのパンフレットは最初は全身銀色のシルエットで「?」と描いてあるが、十円玉でケズれば全部見えるのだ。そのケズり終わった時の魔王が、今まさに、開いて重なったドアをわざわざ突き破って入ってきたので、みんなは驚きと恐怖で声を出せなかった。
 教壇の前まで魔王とマサオは歩み出た。そして、マサオの肩に手を置いて、魔王の説教が始まった。
「いじめはダメだろ」と魔王は言った。「いじめなんか止めて、テレビゲームなんか止めて、ポケモンなんかセーブして、倒しに来いよ。俺をよ。俺を憎んで憎んでよ、ぐしゃぐしゃに殺しにやって来い。電車を乗り換えてやって来い」
 もともと学校の先生になりたかった魔王は気分よく喋り続けていたが、その時、「止めろ片岡!」という声が教室の後ろの方から聞こえた。見ると、片岡がコンパスを限界まで広げた形で握っており、それを隣の席の岡田がなんとか奪い取ろうとしているところだった。魔王は落ち着いていた。
「殺されちゃうぞ!」と岡田は言った。
「離せ!」と片岡は言った。
「なかなか威勢のいい奴だ。しかし、その針の先っぽについてるゴムのカバーを取った時が、お前の最後だぞ。しかも無宗教の日本人が、簡単に生き返らせてもらえると思うなよ」と魔王は言い、片岡に向かって爪のやや長い大きな黒い手を広げた。
 しかし、さすがは二階の教室から好奇心で飛び降りたことのある片岡、それでもひるまず、岡田に抑えられながらも必死でゴムのカバーに手をかけようとした。
「ここで倒せば、国民栄誉賞だ。これはチャンス、俺に訪れたいきなりチャンスなんだよ。一発で決める!」と片岡はみんなに問いかけるように叫んだ。「電車賃も浮くぜ!」
 岡田は一瞬考えるような素振りをしたが、首を振った。
「まだレベル1だろ!」と岡田は言った。「それに、電車賃はお母さんが出してくれるってもんだぜ……なにより、俺とお前は親友、そして同じパーティーじゃないか……そうだろ……? ここでお前に死なれたら、俺はどうすりゃいいのよ。きっと、マサオがお前の空いたとこに入ることになるんだぜ。そんなのいやだよ。なあ、親の友達と書いて親友だろ、わかってくれよ片岡!」
 片岡の動きが止まり、コンパスが手から落ちて片岡が膝から崩れ落ち、魔王が満足げな笑顔を見せたその瞬間だった。
「先生、今だ! そのでかいコンパスで魔王を!」と突然顔を上げた片岡が叫んだ。
 魔王は驚いて、後ろを振り向いた。
「いや、このコンパスは普通なら針のとこがゴムだから無理だよ」と先生はそばにかけてあるでかいコンパスを見ながら、なぜか半笑いで言った。
 教室中が凍りついた。そうだ、先生のでかいコンパスは針のとこがゴムなんだ。片岡の凡ミスだ。みんなはそう思い、片岡の今後を憂いた。魔王の前でこんなことをしては、ただではすむまい。その時、何かが空気を切り裂く音がして、唐突に魔王の首が飛んだ。そして同時に、何かが黒板にぶつかる大きな音がした。
「魔王!」と誰もが叫んだ。
 みんなはほとんど同時に落下していく魔王の首と黒板にぶつかったものとどっちを見るか迷ったが、幸い二つはそう離れないところに転がった。やがて、魔王の体はゆっくりと倒れていった。みんなは状況を飲み込もうと一生懸命になった。
「まず黒板にぶつかったものは、ありゃあ三角定規、先生のでかい三角定規の、45度の方だ!」
「あれが回転して、空中をビュンビュン飛んできたんだ!」
「そしてクビチョンパ」
「さらに、それを投げた勇者は……」
 みんなが見回すと、片岡の横に、腕を突き出したポーズをしたまま、かっこいいと思って完全に動きを止めている男がいた。
「岡田だ!」
「お前ら仲良し二人組、もしか最初から計算ずくで」
「魔王にふっかけたのか」
「てことは、先生のでかいコンパスがゴムなのも知っていて……」
 二人は、おもむろにシャツの袖をまくって肩のところでまとめると、腕を組み、それからニヤリと笑顔を向けた。
「モチ」
 歓声が上がった。
「国民栄誉賞……」
「同時受賞だ!」
 胴上げされる二人が宙に舞うその横で、マサオは魔王の亡骸に取り付きいつまでも泣いていた。みんな見ない振りをした。