バク転ギツネ、町へ行く

 お母さんから「危ないからやめときなさい」と言われていたにも関わらずチャレンジ、血のにじむ、毛の生え変わる猛特訓の末にバク転をマスターしたキツネはさっそく人間に自慢してやろうと山を下り、ライブハウスのドアを叩いた。
「今夜、俺のバク転ライブを開いて欲しい。だから、そちらには、ハコの準備だけお願いしたい。立ち見は無しだ。椅子を並べてくれ。そして寒色のスポットライトを頼む。スタッフさんの弁当やなにやらは俺が手配しておこう。あとは……いや、じゃあもういいや、もう、会場のことも俺がやっておくよ。イスも俺が並べるし、照明のことも俺がやるよ。宣伝も俺がしとくから」
 キツネは革ジャンを羽織ると出て行った。ライブハウスの従業員は、キツネよっぽどバク転見せたいんだな、と思った。そして、お前も夢を追いかけてるんだな、と感動した。従業員は、キツネの情熱に引っ張られるように、なにがなんでもこのライブを成功させたいとその力を結集したが、全部キツネが準備するといっているし、届いたのり弁を食うだけだった。
 午後七時、ライブが始まった。キツネの手腕はタヌキの八十倍あったので、ライブハウスは超満員となっていた。
 会場は暗闇に包まれていた。しかし、急に爆竹が鳴り、真っ暗闇の中にブルーのスポットライトが照らされると、そこにはキツネがいた。キツネはスタンドマイクの前、革ジャンを着て、目を閉じたまま自分の体を抱きしめるように直立していた。
「大自然がふるさと」
 キツネはマイクに向かって囁いた。すると、観客は手をキツネの形にして突き出して、口々にこう叫んだ。
「キツネー!」
 歓声にこたえることもなく、キツネはイメージトレーニングに打ち込み始めた。耳はピンと立ち、昔話で人をだます時の往年の集中力をその体に宿らせていく。やがて、どこからか葉っぱを取り出すと、頭の上にのせた。いよいよだ、とみんな思った。ステージの端に置いてあるメクリが従業員によってめくられると、そこには「バク転」と男らしい墨字で書いてあった(キツネ筆)。
 キツネは肩幅まで足を開き、そこから微調整を繰り返した。
「おい!」
 集中が乱されたのか、急にキツネは叫び、葉っぱを取ってしまった。キツネが足を踏み鳴らし、ドンドンという音が響いた。
「なんだこの材質は。不安だよ、凄く不安なんだよ。マット持って来い!」
 しかし、ライブハウスにマットがあるはずなかった。そこで、急遽、スタッフが寝るために置いてあった布団が用意された。
「これでも固いよ。夏用の布団じゃねえかよ。不安だよ」
 二枚重ねにしたのに、キツネは渋い顔をした。イライラしたキツネは、葉っぱをむしゃむしゃ食べてしまった。そして、筋だけ吐き出した。その仕草やクレームをつけまくる態度や革ジャンは、キツネなのにロックスターだったので、観客はすっかりキツネのファンになってしまった。バク転にビビるのはロックスターっぽくなかったが、ファンは盲目だった。
 キツネはステージぎりぎりまで出てきて、革ジャンを客席に放り投げた。そして言った。
「お前ら全員、今から森に来い。枯葉のベッドのフワフワ感、味わわせてやるよ。大自然の尊さ、空気のおいしさ、ログハウスの暮らしやすさ、思い知らせてやるよ」
 いつの間にか、メクリには「環境保護」と書いてあった。
 そう、キツネのゴルフ場開発との戦いは、バク転を練習していた時から始まっていたのである。それは孤独な戦いだった。