家族カラオケ

 カツオは憤怒していた。サザエが、一発目で自分の十八番『LOVE PHANTOM』を早々に歌ったからだ。
 今回の家族カラオケに対して持っているノリノリ感やハイモチベーションを如実に表していたメロンソーダの注文をカツオは取り消し、代わりに「ウーロン茶で」と言って内線の受話器を置いた。
 そんなカツオを尻目に、いやむしろ見せつけるように、サザエは気持ちよく歌い続けた。いつもの『DESIRE-情熱-』『Chase The Chance』から普段は歌わない『Yesterday Once More』まで歌った。
 フネが「カツオはいいのかい」と言っても、「お兄ちゃんも歌えば?」とワカメが訊ねても、「カツオくん僕と一緒に『リンダリンダ』いくかい?」とマスオに提案されても、カツオは「いい」と言って力無く首を振るばかりだった。
 波平は、『昴』などを歌いながら、この世に楽しいことなど何にも無いとでも言わんばかりのカツオを見るたびにいらいらしていた。フネは歌わずにニコニコと家族を眺めたが、やはりカツオが気になっていた。ワカメは主によく知らないガールポップを歌い、時々、心配そうにカツオと波平を見比べた。
 不貞腐れているカツオに対する波平の我慢の限界は、波平自身が『ルビーの指環』を歌って中盤までさしかかった時にやってきた。
「くぅもーりぃガーラスの向ぅこうは風の街 さめた紅茶が……カツオ!」
 カラオケ店のマイクが「カツオ」という言葉を受け止めたのはこれが初めてだった。
 カツオは未だ不貞腐れた表情を崩さないまま、モニターの横に立つ波平を見上げた。
「何を歌うかは人の自由だ。それをお前はグズグズと、タンバリンも振らずに不貞腐れおって!」
 父は怒りに震えていた。それを見たカツオの表情には、恐怖の色がにじんでいた。『ルビーの指環』の物悲しい音楽が流れる中で、愉快な家族は黙りこくった。サザエもこうなってしまうと、下を向かざるを得なかった。
 家族の良心、フネが口を開いた。
「お父さんはね、お前も『LOVE PHANTOM』を歌えばいいじゃないかって言ってるんだよ」
 波平は、マイクをカツオの方へ流した。サザエは、なんかあの凄いデカいリモコンを操作して、「割り込み」みたいな機能を使ってある曲を入れた。『ルビーの指環』が中断して、モニターに浮かんだタイトルは、『LOVE PHANTOM』ではなかった。


 『愛のバクダン』B'z  作詞:稲葉浩志 / 作曲:松本孝弘


 この前マスターしたばかりの、今日お披露目してやろうとこっそり練習していた曲のそのイントロを耳にして、カツオは力強く立ちあがった。姉さんは見ていてくれていたんだ、とカツオは涙ぐんだ。前奏が流れる中、ワカメは兄のために受話器をとり、こっそりとメロンクリームソーダを注文してやると、そっと振り返った。
「愛のバクダン! もっと沢山!」
 そこには元気ないつもの兄がいた。
 それまで気まずい思いをしていた中島は、ここぞとばかりに立ち上がってタンバリンを軽快に振り始めた。