ポチは抱かれながら、身をもがいて大あばれにあばれ、わたしの手をなめ、胸をなめ、顎をなめ、頬をなめ、なめてもなめてもなめ足らないで、わるくすると、口までなめる。父が面をしかめてきたないきたないという。なるほど、考えて見れば、きたないようではあるけれども……しかし、わたしはうれしい、やめられない。どうしてこれがやめられるもんか!
――(二葉亭四迷『平凡』 岩波文庫 P35)

「お前は何がほしくておれを殺すんだ。」
「ああ、おれはお前の毛皮と、胆のほかにはなんにもいらない。それも町へ持って行ってひどく高く売れるというのではないし ほんとうに気の毒だけれどもやっぱりしかたない。けれどもお前に今ごろそんなことを言われると、もうおれなんどは何か栗かしだの実でも食っていて、それで死ぬなら死んでもいいような気がするよ。」
「もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども 少し残した仕事もあるし ただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胆袋もやってしまうから。」

――(宮沢賢治「なめとこ山の熊」『風の又三郎』岩波文庫 P239)

だが手紙を書いてしまってからも、ぼくは、ジムがどんなにぼくに親切にしてくれ、ふたりでいっしょにいかだの上で暮らして、いろんな苦しいめにあいながら、助け合ってきたことを考えた。そのジムが、この手紙を出せば、また哀れな奴隷にもどってしまうのだ。手紙を持つぼくの手はぶるぶるとふるえた。いつまで考えても、二つにひとつの道をとらぬわけにはいかないということは分かっていた。しばらく考えて、じっと息をとめ、「よし、このために地獄に落ちてもかまやしない」と言って、ぼくはその手紙を破り捨てた。こういうことを言うのは悪いことだが、どうせ悪いことをするように育てられてきたのだから、もう一度悪い道にまいもどってやろう。その逆のまともな道は、どうもぼくの性に合わない。その悪いことの手はじめに、ジムを奴隷の身分からもう一度救い出してやろう。
――(マーク・トウェインハックルベリィ・フィンの冒険村岡花子訳 新潮文庫 P268)