回文

 テレビでやっていた回文、中でも「俺と森本レオ」が自分的に大ヒットしてしまった小池健介、十八歳、俺が一生かけて成し遂げる仕事はこれしかないとばかりに家を飛び出した。
 別れの言葉は健介の初めての作品、
「グッバイバッグ」
 健介はめくるめく回文の中に詰め込んださよならのカバンを背負って消息を絶った。
「なあに、すぐ帰ってくるさ。だいたい、大学も受からない仕事もしたくないなんて言うあいつに何が出来るっていうんだ」
 とふんでいた父親の予想に反して、健介は帰ってこなかった。しかし、「俺と森本レオ」以上の回文を探すことは、健介には出来なかった。長ければいいというものではない、ここに響かなくっちゃ意味がない、そう思いながら健介は自分の胸を拳でどんどんと叩いた。どんどん叩いているうちにリズムが出てきて、片手だったのが両手になり、交互に叩き始めた時、健介はなんだかゴリラの気分になっていた。
「ゴリラのラリゴ」
 一朝一夕で取り組む健介の回文はいつも単純だった。自分でもそれはわかっていた。ラリゴという名前のゴリラを生み出しても、心は晴れなかった。
 半年が経った。母親はいつものように「ごきげんよう」のゲスト三組がほとんど知らない人であることを確かめてテレビを消し、お茶を飲んでいた。チャイムが鳴った。
 母親がドアを開けると、健介が立っていた。頬はこけ、髪は固まり、服はぼろぼろだ。
「健介」母親は驚いて立ち尽くした。
小池恵子」健介は母親の名前を言った。そして笑った。
 探していたものはすぐそばにあったんだ、という陳腐な結末を我が物にしたとき、強がってしまった十代の男の子は実家に帰ってくることが出来る。そしてその日の夕飯には好物(エビフライ)が出てくるのだ。おめでとう健介。