書道教室(iru35711さんからいただきました)

 まず、『元旦』と書いた生徒が、師範の赤い墨汁で顔をベッタベタにされた。
「みなさん、見ましたね。今の彼の、失態を見ましたね。まるでダメです。みなさんのようなド素人が、どう書くか、と悩むのは十年早いです。十年早い。私はこれをバーチャファイターでコンピューターに言われましたが、それはともかく、あなたたちは何を書けばいいか考えるべきです。私は『納税』と上手に書いて賞をもらう子どもをこれ以上見たくありません。だから同じように、『元旦』とか『初日の出』とかつまらないことを書いた人を、私は、涙をのんで、赤い墨汁で容赦なく斬り捨てます。書道を教える人は赤い墨汁を使うと思います。そしてその色は」
 師範はそっと袴のすそを直し、それから、赤い墨を掌に塗りたくった。真っ赤になった手を生徒達にかざす。
「情熱と血の色です」一瞬、時間が止まった。「じゃあ開始!」
 生徒達は目の色を変え、筆を持った。師範は手を洗うと、後ろ手を組みながら、生徒達の間を縫うように見ていく。その目は、反射するタイプのサングラスに隠されて見えない。
 『うまいぼう』と書いていた生徒の後ろで、師範は立ち止まった。その生徒は黄色いTシャツを着ていた。師範は急に鬼の形相になると、走り出し、赤い墨汁したたる筆をとってそれをはね散かしながら戻ってきて、問答無用とばかりにその生徒の背中を袈裟懸けに斬った。生徒は声をあげる間もなく、『うまいぼう』の上にバタリと倒れた。
「いいですかみなさん、『うまいぼう』がおもしろワードだと思っているような奴は大成しません。うまいぼうはうまいです。でも、それを誕生日プレゼントに3000円分あげたりする奴は間違いなくダメです。わかっていません。自分のやっていることがどんなに陳腐なことなのか、そこのところがまったくわかっていません。はき違えています。それがこいつです。こいつはこの黄色いTシャツを書道教室に毎回着てきますが、私はそれもむかついていました」
 師範は肩で息をしながら喋り終わり、そっとサングラスをとった。その目はテレビゲームを6時間ぐらいやった時のようになっていた。またかけた。
「じゃあ再開!」
 師範はまた後ろに手を組んで静かに歩いた。誰もが集中して、筆をすべらせる。静寂が訪れる。
「洗え!」
 突然、師範の声とともに、赤い墨汁が猛烈な勢いで天井に吹き上がった。たっぷり赤い墨汁を吸い込ませた筆を師範がある生徒に叩きつけた途端、あまりの衝撃に、その全水分が飛び出したのだ。生徒は『コーンスターチ』と書かれた横に倒れ伏していた。
「みなさん、注目。習字セットが汚い奴は書道云々より人間として終わっています。こいつの文鎮を見てください。こいつの文鎮は真っ黒です。墨がかたまって、パッと見、最初から黒い文鎮だったように見えますが、もともとは銀色です。次に硯、これ、ほら、固まってしまってる、固まってしまってるねぇこれ。普通の硯にはヒタヒタに1デシリットルほど入りますが、こいつのは掃除しないから固まりすぎて、70ミリリットルがやっとです。極めつけは、これ、筆が根元から二股に裂けてしまっています。それをこいつは、二重線がかけるとむしろ喜んでいましたが、いいですかみなさん、個性とはそういうものじゃありません。ガビガビの筆は決して個性にはなりません」
 師範はガビガビの筆を見せるように生徒の間を歩き回った。いつの間にか、逆の手にはヤカンが提げられていて、師範は生徒の硯を手に取り、入っていた墨を次々とヤカンに流し込んでいく。そして、倒れている黄色いTシャツの後ろに立った。そして、ヤカンを勢いよく傾けて、ちょうど髪の毛とTシャツの間の首筋を狙って墨をぶっかけた。
「起きろ!」