野球場マウンドの上、俺様宛て

 一点リードの九回裏、ノーアウト満塁、バッターは四番。ピッチャーは俺。
 ゆらゆらと陽炎が俺とキャッチャーの間に立ちのぼり、審判の汗が額を伝うのが見える。俺は今、人生最高に集中し、歓声も聞こえない。俺はまるで、それが自分で招いたピンチであることを忘れているかのようだ。でも大丈夫、俺は落ち着いていて、英検三級を持っている。ユニフォームは昨日洗いたてだが、今は土まみれ、そしてまた明日には洗いたてになっている。グローブの革のにおいがふと鼻をかすめる。こんな暑い日は、ボールの縫い目の一つ一つが俺に語りかけてくるようだ。お前ならやれる。その赤いメッセージが、炊飯器の時計の正確さに気付いたあの時の頭の冴えを、マウンド上のピッチャー、すなわち俺に呼び戻す。その時、俺は名実ともにエースになっている。俺の目はオオカミのようで、オオカミの目は俺のようだ。オオカミは絶滅したが、俺にはこの先も楽しいことがいっぱい待っている。しかし、今、この瞬間だけは、その目にはミットしか映らない。オオカミのような俺の目はミット専用のような目になっている。そこには一直線に光の橋がかかっていて、俺はその道をまっすぐ行けばいい。ただまっすぐに。俺のスポーツカーにハンドルはいらない。その代わりアクセルを二つ取り付けてくれ。そして前だけ見て、後ろは振り返るな。何も考えるな。時速140キロで俺は俺の道をただ行け。そう、直球勝負。
 しかし、俺は汗に邪魔されてプレートから足を外した。帽子を取り、汗をぬぐう。こんな緊迫した場面では、時間は使えるだけ使っていいことになっている。
 その時、俺は思い出した。今朝の俺が、今の俺に宛てた魂のメッセージのありかを。帽子のツバの裏に隠された俺からの伝言。何か大事なメッセージを、俺はそこに書いておいた。俺は目の前に帽子を持ってきた。
「炊飯器の時計は凄く正確」
 そう。炊飯器の時計は凄く正確なんだ。俺は帽子をかぶった。
 メモするとメモを見なくても覚えているのに、メモしないとすぐ忘れる。いったい俺はどうすればいいんだという気持ちで投げたボールは二倍の速さで俺の頭の上を抜けていった。