合気道

 合気道の道場の前をもう二時間近くうろついている島田島子、ブックオフの値段のシールがうまくはがせない16歳の女の子だ。
「おいおい、あの娘っ子、もう二時間もいるじゃないか」
「そんなこと言ってポール、もしくはオマエのガールフレンドなんじゃないのか」
「ハーハ! よせよマイケル。おい、皆もよせって、言うなって」
 誘導尋問的なポールの発言に、その場にいたジョニー、マジャクリフ、ペトロフ、ヘドヴィッチなどが一斉に「ヒューヒュー」と色めきたった。
「まったく、とんだジュニアハイスクールストゥーデント達だぜ!」
 そう言いながらポールは、「ヒューヒュー」言っているうちになんか知らないけど興奮してきて悪ふざけ半分で自分に取りついてきたマジャクリフを、その合気道の手並みで投げ飛ばした。
「ファッキンジャップ!」
 壁に背中をしたたかに打ち付けて、全ての怒りをイエローモンキーにぶつけるマジャクリフ。その時、師範の新内白雲海がシャワールームから出てきた。不穏な言葉を放ったマジャクリフを睨みつけていた。
「あ! ファッキン白雲海先生、違うんです。今のファッキンジャップは、僕の口癖で、決して先生に言ったわけじゃ」
「だまらっしゃい!」
 白雲海は、いかにも日本人な物言いで叫ぶと、乾ききらない髪を一回かきあげ、その時、ずっと風呂上りみたいな髪型でいれたらいいのに、と思った。
「そこに並ばっしゃい!」
 余りの迫力と口調の変わらなさに外人達は驚いて横一列になった。
「お前達の会話を私はずっとシャワールームで聞いていた。シャワーを浴びているのになぜ聞えたかというと、実はもうその時シャワーを浴び終わっていて、体を拭いている段階だったからだ。静かだったんだ」
 発言の隙の無さに、外人達はわざとらしく小声で口々に「マーヴェラス」と呟いていた。「マーヴェラス……」「イッツマーヴェラス……」「ミスター・パーフェクト……」「アーネスト・ホースト?」
「お前達は、合気道をなんと心得るのか。そんな不埒な心でいいのか。そんなことで、合コンなどで趣味を訊かれて、合気道です、と堂々と言えるのか。合コンで堂々と言うためには、もっと真面目に取り組むべきではないのか。お前らが合コンへ出席するなど百年早いわ!」
 外人達は打ちひしがれ、「ファッキン白雲海先生!」「ファッキン白雲海先生、僕達に本当の合気道を教えてください!」「精進します、ファッキン白雲海先生!」と心を新たにした。
「もうよい。わかればよいのだ」
 一転、愛弟子達を優しく見詰めると、白雲海は弟子目線になって、話を変えた。
「ところで、さっきからめっちゃ気になっているんだが、あの娘は本当にポールのガールフレンドなのか。もしそうなら、うまくやったもんだ」
「いいえ違います、ファッキン白雲海先生。道場前に咲いたあのナデシコのことは、誰も何一つわかっちゃいないのです。いえ、ただわかっていることといえば、その花が美しいということでしょう」
「ほう……」
 となると現状は横一線、こりゃあ、俺にも可能性が無いわけじゃなさそうだ、と白雲海は思った。
「ペトロフ、あの謎に満ちた美女を呼んできなさい」
 白雲海がペトロフを選んだのは、ペトロフがメガネをかけていて太っていて一番冴えない奴だったからだ。
 ペトロフは道場を出て、島子に声をかけた。島子は「イエス、イエス」と返答し、変にバイリンガルを気取っていたが、ペトロフが喋っているのは日本語だった。それに、ペトロフはブルガリア人だった。
 ほどなくして、島子はペトロフの後に続いて道場の敷居をまたいだ。外人達と白雲海は「ヒューヒュー」と大騒ぎだ。
 島子は、指笛を吹くなどしている外人と師範を見て、白雲海に近づいていった。
 俺が本命かよ、と白雲海は興奮した。
 島子は白雲海の前に立って何も言わず、おもむろに背負っていたバックパックを下ろすと、中からバナナを一房取り出した。
「これ、差し入れです」
 思わせぶりな女だ、と白雲海は思った。
「ありがとう。じゃあ早速いただいちゃおうかな。皆もいただいちゃえよ」
 白雲海が女を意識した口調で言った途端、ワッと外人達がバナナに群がった。
 しばらくの間、「うまい」「まじうまい」とバナナをむさぼる外人と老人を見ている島子の目は、バナナについたシールとそれにかけられる爪しか見ていなかった。
 無意識にはがして手の甲とかにその丸いシールを貼りたい外人と老人だったが、そのシールは、バナナに普通ついているものより、島子によって若干粘着力を増されていた。結局、シールを綺麗にはがした者はいなかった。
 島子は、ここで得るべきものは何も無いと思った。島子にとって全ての武道は、ブックオフのシールをうまくはがすためだけに存在していた。