ネタバレあるぞ!『大日本人』を見に行った日

 ネタバレあるから観てない人は読まないでね!



 ぼくは今日、松本人志の第一回監督作品、『大日本人』を観てきました。
 ぼくは絶対に目が行かない頑張ったスタッフさん達の名前の羅列が出終わって、「吉本興業」と大きく映し出され、明るくなった時、
「松っつ―――ん!」
 とあだ名で叫んでいました。それはドラえもん映画のオープニングの「ドラえも―――ん!」のニュアンスでした。
 確かにぼくは、映画なら、それも劇場で観る映画なら考えられないくらい笑いました。それは間違いないです。
「がしかし!」
 とぼくは、駆け込んだトイレでおしっこをしながら言いました。笑ったけどあえて、
「がしかし!」
 と言いました。映画館から出ると、雨がずいぶん強くなっていました。ぼくは傘(奇しくも折り畳み)を出す元気も無く、とぼとぼと歩き出しました。
「なんや色々ほのめかしてたヒーロー観云々なら、冒頭と、かっこいいスクーターのとこは欲しいけど、後ろ三分の一でだいたい伝わるのと違うんじゃないの。少なくとも全体で2割ぐらいカットできたんじゃ……『笑い』の映画なら……」
 とぼくはつぶやいていました。だって、あの、軸になるしょっちゅうのインタビューシーンが、松っちゃんが言う「笑い」という意味でもどうにかなっているとは思えないし、箸休めにしては多すぎだし休むほど溢れだすような笑いは無いような気がしたし、大日本人も普通の人なんだとかもすぐっていうか見る前から思うし、ましてや素人的な人へのただのインタビューなんかは、そこに色々メッセージ(言うだけ言う、そのくせ何も答えられない、そのくせ何か答えがあると思ってる)があったとしても、正直言うとあんなには見たくなかったのです、ちょっと面白いとこもあったけど。ぼくは、人志の映画だから、ずっと「よし次の笑い早くこい」と思って観ていました。みんなもそうだと思います。ぼくの頭の中では、高須光聖が「このインタビュアー腹立つわぁ」と言う声がはっきりと聞こえました。「こんなんあるよなぁ」と。終わった感じから言うと、ああいうのはちょろっと印象付けるぐらいで充分だったと思います、全編それで通さなくてよかったと思います、と伝えたい気持ちでいっぱいでした。それで構造が変わるとしても、です。そこだけは、素人のぼくが自信を持って松本人志監督に言えそうなところでした。あれに関わってくる「この素人がカメラ向けられた感じ、どや」もそうです。そんなん、そんなん、
「ちょっとでいいじゃないかよ!」
 傘もささないずぶぬれの信号待ちでぼくは絶叫しました。
「ていうか、最後のあれにパワー持たせるためにぐだぐだやってたんなら、もし最初からそういう構想だったなら、そんなひでえ話はねえよ!」
 もっと全体的に言えば風刺なんて後からついてくるもんなんだから、風刺の形を、もしくは風刺を風刺する形を一応におわせとくみたいなことにしなくてもいいんじゃないかとぼくは思いました。もちろん、それが第一義になってるとは思わないけど、そのへんをパッパッパッパやってくれたら、その分もっと、時代の笑いの一歩先を掘り進んできたパイオニア丸出しだった松本人志のあれこれが出来たんじゃないか、と、もう思わないことにした「こんな道があったんじゃないか」的なことを思ってしまったのです。一番「映画」に引っ張られてしまったのは松本人志だったのではないのですか、あっ間違ってたらすいません、という感じがぼくを支配していました。映画だから全部ストーリーに関係したことをしなくちゃいけないんじゃないだろうか、という不安がスクリーンに映っているような気がしていたのです。
「そんなこと松本人志が気にする必要ねえよ、必然性や整合性なんてよ!」
 ぼくは折り畳み傘をカバンから取り出して振り返り、映画館の方に思い切りぶん投げました。ぼくの頭の中では、『トカゲのおっさん』で一番純粋に笑えたのは崖の上の相撲の回だったじゃないか、という思いが渦巻いていました。あれは、捕まるということ以外は、全然ストーリーと関係なかったのです。でも、今回は全てがガチガチでした、物語物語、でした。枠の中でした。唐突な登場人物は、獣と、始まって二時間後にしか現れませんでした。
「遅すぎるよ!」
 信号が青になり、ぼくは歩き始めました。こんなこと、松本人志にしか言えないのです。言わなかったら、松本人志に憧れてきたわしらは、わしらは、
「破滅や!」
 ぼくの前を、映画館でぼくの後ろに座っていたカップルが歩いていました。女の方は観ながら爆笑していたので、よく覚えていました。でもその女は、MOVIXのカバの注意でクスクスする女でした。二人は、満足そうに喋っています。「板尾」というキーワードが聞こえました。
「あそこは面白かったよ!」
 とぼくはカップルに唾を吐きかけました。
「でも、それだけじゃなんか、なんか足りねえんだよ!」
 ぼくは駅に向かって走り出しました。松本人志に影響受けすぎ世代として、ぼくは走り出さずにはいられませんでした。この年じゃなかなか見せない全力疾走で駅に入り、切符の販売機の前で止まります。140円で切符を買いました。
「最後らへんは別にこれと言って文句ねえよ! だってあそこで文句いうようなことなんて、松本人志に期待してねえもん!」
 と大きな声で言いながら、ぼくは電車を待つ列に並んでいました。すぐに電車は来ました。
 各駅停車に揺られながら、ぼくは、言葉の笑いあんまりなかったしちょっと海外考えて作ってたんじゃないの、と勘繰ってしまいました。これで、日本人向け、なんて言われたら、ぼくは、
「あんたの植えつけたお笑い遺伝子はこれじゃあ満足しねえよ!」
 と電車内で叫ばずにいられないのです。だから叫びました。日本人向けなら、人志はもっと言葉で笑いをとりにいったはずなんです。
「だろ!?」
 ぼくは坊主頭という理由だけで、知らないおっさんに問いかけました。
「人志の言葉をもっとくれよ、なあ! 人志のおもしろワードをよ!」
 ぼくは叫びました。流れ行く街の光が悲しげです。
「あの『焼きますか』で、うわあこんなんポンポン来られたらたまらんな、と思ったあの時まで、時計の針を戻してくれよ!」
 坊主のおっさんはぼくを無視してずっと下を向いていました。
「それでも!」
 ぼくは続けます。人志の耳に届かなくても、続けます。
「カツラでもなんでも、髪の毛がある人志が映し出されると、俺はワクワクしちまうんだよ! ばかやろう!」
 ぼくはおっさんの坊主頭をすぱんと叩いて、ちょうど駅に着いて開いたドアから出て行きました。
ぼくは走り続けました。なんでアメリカンヒーローはウルトラマンっぽかったんだろうと思いました。ぼくの中でウルトラマンは、シリーズにもよるけど、特にウルトラセブンだけど、ヒーローとしての俺って、と今回の映画にも通ずることを考えるタイプだと思うからです。ブサイクな勝ち方したり、負けたりもするからです。
 ぼくは家に着くと、泣きながらビジュアルバムのDVDを取り出しました。「ぶどう」をDVDプレイヤーに入れて、再生ボタンを押しました。
「そんで色々とちょっとベタだったなぁ!」
 画面では、ハマちゃんが咳をしています。
「笑わなかったわけじゃないけどさ……普通の映画よりはよっぽど面白かったけどさ……次も楽しみだけどさ……DVD買います……」
 とにかく、笑いが背骨じゃ無いようにうつってしまったのが、ぼくにはちょっぴりショックだったのです。少なくとも、笑いをとるのに最善の方法でなかったのは間違いないのです。ぼくは、映し出そうとするものにメタファーや関係性をあれこれするのは、笑いをとることに比べたら簡単だと信じています。ぼくにそれを教えてくれたのは、大日本人を演じてる人でした。