朝顔に病気のかかる

 水やりが面倒なのはみんなそうだ。それが裏庭に置いてあるならなおさらそう。僕はろくすっぽ水をやらなかった。でも、僕の朝顔だけ悪い病気になったのは別の理由があると思う。みんながみんな水遣りをしていたわけではないし、僕のだけ病気になるなんてちょっとあんまりだ。先生は「朝顔は病気に強い。だから色々といい加減な小三に育てさせる植物として選ばれたんだ」と言っていたのに。
 思えば、僕の朝顔の異変は七月に入ってすぐの月曜日から始まっていた。理科の時間に観察しに行くと、僕の朝顔はへこたれていた。僕はみんなにそれを悟られないように、人一倍、一生懸命に観察した。地面にへばりつき、みんなが近寄りたがらないレベルまで尻を浮かせ、鉛筆を走らせた。
 それから一週間して、状況はさらに悪くなった。昇降口の掃除当番の暇つぶしに、僕は朝顔を見に行ったのだ。もう真ん中へんの分かれ目の茎のところが茶色く変になって折れかけていた。この分だと、花が咲く前に僕のプラスチックの鉢は寂しい状態になってしまうんじゃないかと思ったので、須磨君も道連れにしてやろうと、僕の朝顔の茶色くなった部分をへし折って、それから須磨君の朝顔の一番ぐんぐん伸びていくところの先端をちぎり、僕の朝顔の悪そうな汁を内側から効いてくるように垂らしてやった。そして、その茎を須磨君の鉢植えの土の中に埋めた。根っこから、茎から、悪い病気を吸い込めば、たちどころに僕のと同じ病気になるだろう。須磨君の鉢に満たされた土は、濡れも乾きもしない、素人目で見てもいい感じだった。だからこんなにぐんぐん伸びるのかも知れない。実際、ぐんぐんに伸びている。伸び率ではクラスでトップだ。それを誇りに思った須磨君が「俺のが一番早く三段目の横軸に達した」と言ったので、みんなは横軸と縦軸という言葉でツルがからまっていく高さを表現するようになった。「俺のツル、伸びすぎて増田の縦軸にからまっちった。伸びすぎて」「私の、横軸を経由して逆側の縦軸を上り始めた」こんな会話に僕は参加出来ずにいた。僕の朝顔は、一段目の横軸になんとかつかまっているという有様だった。茶色くなった茎を須磨君の土ですっかり覆うと、僕は自分の鉢を見た。土は、雨が降らなかったこともあってカサカサになって割れていた。やっぱり水はあげた方がいいんだな、と思ってから、そりゃそうだよ、と思った。
 二日後、理科は朝顔の観察だった。僕はドキドキしながら靴を履き替えた。あれから見ていないけど、須磨君の朝顔はどうなっているだろうか。うつっているだろうか。僕のはまあ多分完全に死んでるとしてもういいから、須磨君のはどうなっているだろうか。もし病気になっていて、土の中から病気の茎が見つかったら。僕の朝顔が病気にかかっているのが見つかったら。先生を先頭に一列に並んで歩きながら、僕は気が気じゃなかった。あんなことしなきゃよかった。
「うわ!」
 それは先生の叫び声だった。前の方の子達から騒然となって、だんだんと列が崩れて広がっていく。
 そこにいたのはオランウータンだった。森の賢者、オランウータンだった。並んだ鉢植えの前に座り込んでいる。
「驚かなくてもいい。俺はただの朝顔好きなオランウータン。人に危害は加えない」
 オランウータンはこっちに手を上げながら言って、立ち上がった。
「もう帰るから」
 オランウータンが背を向けて歩き出しても、先生は僕たちを守るように片手を広げていた。
 その時、オランウータンが振り返った。みんなが叫び声をあげた。それが静まるのを、オランウータンは待っていた。
「須磨君っているか」
「お、俺だけど!」
「お前の、なんか悪い病気かかってる」
「まじで! なんで?」
「原因は不明だ。運が悪かった」
 そう言うオランウータンさんの口に、僕が埋めたはずの病気の茎がくわえられていた。わざわざ小学校にやって来るほどの朝顔好きなら、それが僕の茎だということはすぐわかったはずだ。どうしてオランウータンさんが僕をかばってくれるのかはわからなかったけど、それから僕の一番好きな動物はオランウータンだ。