都会、情熱、大陸

 おばんです、という挨拶が鼻についた時、小倉の心の中の都会に高層ビルがもう一つ、フリーターの力だけで建造された。小倉は高いところに設置されたテレビを見るのを止めて、定食屋を出た。
「もうあの頃の、イモ畑を横切って近道したオグちゃんはいねえのかよぉ」
 東北地方の友達の声はもう届くはずなかった。あえて電話番号を変更するやり方で携帯を替えた小倉の胸ポケットにはフリスクが入っていた。
 コンビニで金を払って水を受け取ると、小倉は踵に入ったエアに靭帯を守られながら、どこまでも続くアスファルトの上を、汗をかくぎりぎり手前のスピードで突き進んでいく。メーカーが開発したスーツの通気性がうなりをあげる。小倉は着々と、サラリーマン川柳に入選する力を蓄えつつあった。
 横断歩道を誰よりも早く渡りきると、汚れた空を見上げ、「営業はつらいよなあ」と言った。都会の喧騒をBGMにして、小倉の情熱大陸は、はいオッケーです、というところまで来ていた。葉加瀬太郎がバイオリンを顎に挟みました、という情報も入っていた。
 小倉は電信柱の根元に咲くタンポポを見つけ、立ち止まった。電線にとまっていたカラスはバイオリンの音を聞いた。
 二秒して、小倉はまた力強く歩き出した。会社へ戻る時間だ。
「はいオッケーです」
 小倉は言った。その時間は「ガキの使いやあらへんで」を見ているくせに、小倉の情熱大陸が完成した。