丸まり

 「丸まれ!直滑降選手権大会」を明日に控えて、秋本ヨシノブはホテルの部屋で入念なボディチェックをしていた。俺は丸まれるのか。二本の板の上でバスケットボールサイズまで丸まれるのか。なあおい、丸まれるのかよ。
 ヨシノブがベッドの上でストレッチをしていると、ビジネスホテルの狭い部屋にノックの音が響いた。競技人口60人といわれる直滑降の選手達は、トップレベルと言えども資金繰りに苦しんでいる。あてがわれたビジネスホテルはスキー場から遠く、シャワーの熱さも一定でなかった。
「はい」
「ボクだよ、ニールセンだよ」
「カギは開いてる」
 ドアが開いて、身長190センチのニールセンがくぐるようにして入ってきた。
「カギロックしたほうがいいよ」
「何の用だ」
「明日まで待ちきれなくてね」
「トゥモローまで待ちきれないってか」
「英語圏じゃないんだ」
 ニールセンは冷たく言い放った。日本語を深くは理解していない外国人が時折見せる率直な否定にヨシノブはキレた。好むと好まざるにかかわらずスポーツ選手の沸点は低いというあの法則が、ヨシノブにも組み込まれていた。それは不幸な巡り会わせだった。
「わかってんだよそのぐらい! わかって言ってんだよ! 英語話さないぐらいわかってんだよ!」
「いや、英語はほとんどの人が喋れるんだよ」
「それも、それもお前、知ってんだよバカヤロウ!」
 怒りを抑えられないヨシノブを緑色の目で見つめながら、ニールセンは部屋に備え付けられた椅子に座った。
「ケンカをしにきたんじゃないんだよヨシノブ」
 ヨシノブの鼻息の音が部屋を埋め尽くした。鼻息で埋め尽くされた部屋。
「勝負をしにきたんだ」
 ルールは簡単だった。このビジネスホテルの中にある様々な空間、その中でより小さい空間に丸まって入れた者が勝者となる。
「大会では、丸まっただけじゃ勝てないだろう。丸まり度ははっきりと数値に表されない。どっちがより丸まれるのか、はっきりさせたいんだ」
「しかし、そのルールじゃ、体のでかいお前さんの方が不利だ」
「丸まりに体の大きさは関係ないよヨシノブ」
 いや関係あるだろとヨシノブは思ったが打算的な考えから黙りこみ、というわけでファイッ。最初に丸まるのはヨシノブだった。ヨシノブは部屋の中を物色し、入るものを探した。ぎりぎり入れるもの。
「決めた、これだ」
 ヨシノブが手にしたのは枕だった。枕カバーをつかみ、ゆすぶって中の枕をベッドに落とした。
「枕カバーか」
「いくぜ」
 そう言うや否や、ヨシノブは両足を突っ込み、腰を折り、そっから、お、おお、すごい、うわ、いった、いったいったいったいった、いった、見事に枕カバーにすっぽりと収まった。もうそれは枕にしか見えなかった。
「どうだ」
 枕の中から声がした。
「オーケーだヨシノブ。それが君の記録だ」
「出してくれ」
 内からフィットしてしまったヨシノブはもう自力で出られなかった。
「カバーの弁償代はお前だ」
 ニールセンはそれを聞いて一瞬躊躇したが、手をかけて引き裂いた。ヨシノブが爆発するように出てきた。
「これでお前は、枕カバーより狭い空間を選ぶしかないってわけだ」
「そうさヨシノブ。ついてきてくれ」
 ニールセンは部屋を出た。ヨシノブがついていくと、ニールセンはエレベーターホールで止まった。そこには、自動販売機が二つ、薄暗い蛍光灯に染まる空間を照らしていた。
「ボクはジュースの自動販売機で勝負をかける」
「なんだと。これが枕カバーより狭いと言えるのか。入り口は狭いが、入ってしまえば細長く空間がある」
 ヨシノブは取り出し口を引いて調べた。
「ヨシノブそっちじゃない、こっちだ」
 ニールセンはその隣にしゃがみこみ、カパカパさせた。カパカパしたのはつり銭口だった。
「なんだと? それなら話は別だが」
「よし」
 ニールセンは立ち上がると、後ろに下がって行った。
 無理だ、と言おうとしたヨシノブだったが、勝つための黙秘権を行使した。しかし、小さなつり銭口を見て、思わずにはいられなかった。普通に無理だろ。あんなに丸まれるはずない、人類があんなに丸まれるはずないんだ。
 ニールセンはエレベータ−の扉に背中がつくところまで下がると、深呼吸を一つして、走り出した。そして、自販機の2メートル手前でジャンプし、空中で、あっ、すごい、みるみる丸まって、丸まって、これいく、いっちゃう、まだ丸まって、そんで、いった。ガシャン! 入っ……た。入った!
 ヨシノブは一言も発することが出来ず、エレベーターホールには蛍光灯と自動販売機の震えるような音がかすかに響いた。ヨシノブは自分を叱咤した。俺の、バカヤロウ。ニールセンはこの一年で、これほどまでに丸まれるようになっていたんだ。そしてその間、俺は何をしていたというんだ。俺の、クソヤロウ。
「ボクの勝ちだ」
 つり銭口からこもるような声がした。
「出してくれよヨシノブ」
 ヨシノブは、つりが沢山出てきた時のように、握りこむようにニールセンを出そうとした。が、一筋縄では無理だった。つり銭口にぱんぱんに詰まってしまったニールセンを出すのは大変だ。隙間に挟まったボールを回転させながら出すような感じで頑張って、ようやく出た。ジュリッ、ジュリッ、という感じだった。子供の頃、どうしてあらゆるボールはあんなにも隙間に挟まったのだろう、特に車の下に。それはともかく、ニールセンはつり銭口を出ると、弾けるように元に戻った。
 ニールセンは立ち上がって、体を払った。
「約束通り、有料チャンネルの、あの、カードを買ってもらうよ」
 ニールセンは肩で息をしながら、背を向けて言った。自販機が並んでいる一番端に、ひっそりとそれが佇んでいた。はかられた、とヨシノブは思った。しかし、これほどまでに圧倒的な敗北を喫しては、文句を言うわけにもいかなかった。
「さあ、早く。急ぐんだヨシノブ。千円分でいい。さあ」