温泉とニホンザル

 秘湯探し対決の後攻はロマン秘湯(芸名、浪漫飛行とかけている)、あんた温泉ばっか入ってそれが仕事になったからよかったものの、という母の言葉も今だからこそ笑って受け止められる33歳だ。しかし、今回の対決で負ければ、またあの生活に逆戻りなのである。
「秘湯マニアは二人もいらねえ」
 そう言ってケーブルテレビ局に対決の案を持ち込んだ先攻の秘湯マン(芸名、秘湯を狙うヒットマンかけている)も必死だった。負ければ、温泉入って感想言ってお金をもらう極楽生活からおさらばするはめになるのだ。そうまでして対決をするわけはもちろん、この仕事を独占するためだ。
 ロマン秘湯がおすすめする秘湯には、ロマン秘湯と秘湯マンに加えて三人の審査員が浸かっていた。
 すぐ横に巨大な岩があったが、その上にただならぬ気配を感じた。そこで「あっ!」と叫んだのは秘湯マンだった。
 それはサルだった。たぶんニホンザルだった。日本にいるサルはニホンザルに違いないからだ。
「気持ちいいだろう」
 ニホンザルが言ったので、人間の方は非常に驚いた。
「なんせ、そいつにはあれが入ってるからだ。だからそんなにも気持ちいいんだ。あれがかなり重要なんだ。あれには限りがあるから毎度毎度使えるわけじゃない。ご飯が食べられなかった時の埋め合わせとして、じゃあせめて風呂ぐらいというバランス感覚であれを入れるんだ。今日入れたんだ」
 ニホンザルは淀みなく、サルのレベルを超えてかなり饒舌に喋り続けたが、人間の方はまだ喋れなかった。ただ呆然と、ニホンザルを下から見上げるしかなかった。
「ただのお湯にあれを入れると、めっちゃ気持ちよくなる。ポカポカしてくるんだ」
 ニホンザルは背後に向かって何か合図した。すると、その手下らしきニホンザルが出てきて、缶らしき物体を掲げた。
「これでやんすよ」
「この中にあれが入っている。ここ、表面には何かごちゃごちゃ書いてあるが、我々にはサル的に考えて無理だ。これは、特に一番でかいこれはなんだ。なんて書いてあるんだ」
 ニホンザルはひときわ大きな文字を指差して、一番近くにいたロマン秘湯に訊いた。ロマン秘湯は湯に浸かったまま、サルが喋るのを見上げていた。何も言えなかった。しかしその沈黙の理由はさっきまでと違った。
「バスロマン」
 代わりに審査員の一人が読んだ。それは同時に、秘湯マンの勝利を告げる声だった。これで、ケーブルテレビの夕方の15分枠の温泉番組は秘湯マンのものとなった。
 その夜、サルに現金を渡す秘湯マンが付近の村人に目撃された。アルミニウムっぽいチャラチャラ音がしていたという。