荒野の競馬場

「おい、じいさん。俺達の真剣勝負、邪魔はしないでくれよ」ユタカは吸いさしの煙草を振りながら言った。
「こんなサタデーナイトに邪魔なんて野暮な真似はしないわい。わしは野暮じゃなくてヨボヨボじゃ!」
 風が吹いたけど、これはギャグがすべった時のマンガとかの表現じゃない。ただ風が吹いたのだ。ただ風が吹いたんだよバカヤロウ!
「耄碌しやがって」岡部が唾を吐いた。
「そう言うでない。わしがこの試合の審判を買ってでてやるんじゃから」
 ユタカはそれを聞くと、煙草を地面に落として踏み消した。
「それなら話は早い」
「おい、ユタカ。てめえ駅とかでそうやって煙草捨てるなよ。排水溝に詰めるなよ。捨てるなら吸うなよ。飲食店では煙草オッケーのとこでもやめとけよ飯がまずくなるだろお前のそういうところが俺は大っ嫌いなんだよ勝負だ!」
「てめえだってガム捨てるじゃねえか。フリスク包んでる透明ビニールを風に持ってかれたみたいな顔して捨てるじゃねえか。そういうところをごっちゃにして論駁しようとするから嫌煙野郎は鼻持ちならないんだよ、百害あって一利なしとか自分だけの世界でもの言ってんじゃねえ、吸いたいと思ってて吸うだけで一利じゃねえか、大体、煙どうこう言うならてめえまず車乗るんじゃねえよ、俺は免許持ってないから言うけど排気ガスが迷惑なんだよお前が言ってるのはそういうことだ望むところだ!」
 ユタカの台詞が長すぎるのはこれすなわち減点ポイントじゃわい、と審判のジジイは思った。そんなことは勝負に関係ないがのう。
 二人は同じ椅子に逆向きに座った。椅子はスタンダードな、大体、椅子ってイメージしてみんなが思い浮かべるシンプルなやつだ。あ、もっといい説明あるわ。素材はどうでもいいとして、学校で使ってるようなやつ、あれ。
 二人は荒野に引かれたスタートラインの上で、椅子の背もたれを手で持ち、まっすぐ前を向いて、ゴール地点にいるジジイを見ていた。
 ジジイは赤い旗を振って、一分ほど経ってから一つ咳払いをした。
「ようい、スタート!」
 同時に、二人は椅子をガタガタさせながら前進していく。かなり必死こいて、前進していく。これは写真に撮ったら絶対ぶれる。そう感じさせるほど、こんないい場面だけど写メはあきらめよ、そう思わせるほど鬼気迫るガタガタっぷりだ。そういう時はムービーモードにするといい。
 ジジイは5m先のゴール地点で二人を見守っていた。まったく面白いわい。そして、怖いわい。若さってやつは。
 二人はだんだんと近づいてくる。3mで汗だく、4mでポカリが欲しい。でも二人は黙ってひたすらガタガタさせる。ほとんど横一線だ。
 もう少しでゴールというところで、ユタカがスパートをかけた。左手で椅子の背もたれを持ちながら、右手で、右手で自分の右ケツを叩き始めた。いや違う、そんな単純なものじゃない、ムチが見える。あの右手はムチだ。そしてあのケツは、馬のだ。凄い末足だ。
「うおおおおお!」
 ぐんとスピードをあげたユタカの鼻が先にゴールライン上を通過した。遅れて岡部が入ってくる。二番手以降で入ってくる馬は投げやりだったりもうあきらめたりしてる感じにどうしても見えてしまうし実際どうでもいいというあの感じが、ジジイの頭をよぎった。
 でもジジイにそんなことを考えてぼんやりしている暇は無かった。ユタカがガタガタの速さをゆるめながら、ゆっくりと旋回して戻ってくるのだ。岡部はもう椅子に座ってしまっている。
「わしが判定するまでも無いが」
 ジジイは岡部の反応をうかがって、一息置いた。
 しかし、その時、遠くにババアの姿が見えたのだ。岡部とユタカもババアに気づいた。そして、ババアが掲げているボードにはただ一文字、こう書いてあった。
「審」
 ボードを持つ右手には携帯電話が、中指と薬指と小指に引っかかるような形であった。ババアはムービーモードで全てを見ていたのだ。