クニヒコの初日

 やってみろやってみろって言われたって出来るはずないよ! そんな風に思ったクニヒコは今年でばっちり三十歳だ。味が薄いものだっておいしくいただける年齢だ。
「クニヒコ、こうだよ。こう」おじさんが言った。
「こう?」
「違うよ。そうじゃないよ。クニヒコがやってんのはそれは、そう、だよ。俺がやってんのは、こう、だよ」
「じゃあ、こう?」
「そうじゃないって。それじゃサルみたいだよクニヒコ。まだそれは、そう、の段階だよ。いいか、こう、だよ。こうなんだよクニヒコ」
 哲学やってんじゃないんだからさぁ! クニヒコは心の中であらん限りの力でシャウトした。でも声に出ないクニヒコは親戚のおじさんの家に厄介になってまだ初日だ。
 文句言ったら親父にチクられるんだろ! クニヒコはどんどん思う。どんどん思って、どんどんどんどん思ってるうちに三十歳だ。みんなも気をつけたほうがいいぜ。
「でも、まあ、初めてだから、しょうがないよクニヒコ」
「いや、覚えが悪いんだよ」
 そんなことないけどねぇ! クニヒコは自分を卑下してまで機嫌をとりにいくが、心の中での自己弁護は忘れない。物心ついて二十年、忘れたことがない。
「そう思ってんならやれよ!」おじさんが叫んだ。「覚え悪いと自分で思ってんならひたすらやれよ、サルみたいに反復しろよ!」
 クニヒコは身をかたくした。
「俺は間違ってること言ってるかクニヒコ? 間違ったおじさんか今のおじさんは? おじさんとして間違ってるか!」
 クニヒコは黙っていた。足が震えている。
「今のおじさんをお前は指摘出来るか、可能か? どうなんだよクニヒコ!」おじさんは続けた。「出来るのか出来ないのか二つに一つだよクニヒコ!」
「出来ないよ」
「だろクニヒコ、最初から認めろよクニヒコ! サルみたいに認めろよ!」
 クニヒコはもう心の中ですらシャウト出来ない精神状態に追い込まれていた。
「どうだ、おじさんは間違ってるか?」
「間違ってない」震える声で言った。
 おじさんはしばらくクニヒコの目を見つめて、それから笑顔をみせた。
「クニヒコ、それでいいんだよ。第一関門突破だよ。おじさんが怒ったら、お前はひたすら謝ればいいんだよ。サルみたいに謝ってればいいんだよ!」
 また大きな声を出したおじさんを前に、クニヒコの足の震えは止まらなかった。
 その時、おばさんが作業場の扉を開けて顔を出した。
「夕ご飯の支度が出来ましたよ」
 その顔はクニヒコには天使のように見えた。クニヒコはこれで恐怖から解放されたと思い、ほっとしすぎて、喋ることが出来なかった。ほっとしすぎて喋ることが出来ないというなんか凄い状況だったのだ。
「よし、メシだメシだ。おいクニヒコ、腹いっぱい、たらふく食えよ。サルみたいにな!」おじさんが背中を叩いた。